おねずみ三千世界

これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。

可能性がある世界ではガチャを回し続けることが正となる

当たりが出る可能性があるものは繰り返すのが正義。

そんな可能性が当たり前にある世界では、ガチャを回し続けることが正しい行為だ。

 

しかし無限にガチャが回せればいいのだが・・

 

お金や時間などのリソースはどんどん失っていく。

お金が無限にあっても、お金をケチっても時間はどんどん減っていく。

可能性のある世界から可能性がどんどん減っていく。

命とは時間である。

ああでもないこうでもないとガチャを引き続けていたら、結果大事なものを失うだろう。

 

世に言われるマッチングアプリの功罪もこれだ。

いくらでも新しい人と出会うことができる。

 

新しく恋人が出来て、でもここが気に入らない、ここがこうだったらいいのに。

前の恋人と比べてこういうところが劣る、あの人ならこういうことはしなかったのに。

 

そんな不満がつもり、すぐに別れてしまう。

また次のガチャを回せばいい。

 

そうやって経験ばかり重ねていっても、いつまでたっても満足できないのではないか。

 

世にいう蛙化現象は、畢竟相手の弱さ脆さを含めて愛せないことにある。

 

完璧な人間などいない。

能力値で火も100,水も100、地も100などというキャラクターがいないように、人間もそれぞれ得手不得手がある。

そんな弱さを可愛い点だと思い、まるごと愛せないようではいつまでたっても真に愛する人に出会えないのではないか。

 

もし本当に完璧な相手が現れずに年齢を重ねていき・・その時何が残るのだろうか?

独り身でいることが可能性のいきつく先なのか?

 

有限回しかガチャは回せないのだから、いつか終わりがくる。

その年代年代ごとに適した生き方というのがある。

80代はジェットコースターに乗れない。

10代では家を買うことも難しい。

 

時間が命である。

どのような選択をするかは無限の可能性があるが、時間は有限である。

 

出た結果に落ち着くというのもまた選択である。

10年後、後悔しないようにしたい。