おねずみ三千世界

これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。

自分の精神状態を的確に把握するには

自分自身のことだし、基本的には自分自身のことしか分からないが、精神的に疲れている時、参っている時というのは肉体によく変化が現れる気がする。

具体的には口臭が気になる、ささくれが多くなる、寝られなくなる、とかだろうか。

まあどれも些細なことなのだが、これは何かしらのシグナルだと、私は思っている。

こうなってくると大事なのは切替方法で、私の場合は、

・開き直る

・コツコツやる

・物を捨てる

・買い物をする

・ビーチ、公園などでぼーっとする

・旅

とかとかである。

まず何よりも状況を打破するために開き直るのが大事だと考える。もう別にどうなったっていいかな、十分いい人生だったじゃないか、と思えば何事も平気ではある。そもそも自己評価が高くないので、この歳まで生きれただけで頑張ったと思う。父親は早逝したので、そろそろ父親の年齢を抜くのじゃないか。

どうせ人間いつかは死ぬのだから、そこまで何をするかというのはそれほど重要でもないだろう。

何をしたっていい、どこに住んでもいい。

日本国籍があればいざとなれば生活保護が受けられるらしいから(ほんとか?)、死ぬのも生きるのも私の、あなたの自由だ。今後生活はもっとイージーになって、働く必要も薄れてくるだろう。

私なんてパソコンとインターネットがあれば時間はいくらでも足りない!と思うのだから、どこでも自由に暮らせるはずだ。健康的な生活をおくれるところ、という条件がつくが……。

そう考えると私の中で「健康」というのはとてもプライオリティが高いのかもしれない。食生活には気をつけているし(お菓子も食べるが)、運動もかかさない。こうして、メンタルも気にしている。

なぜこうまで健康にこだわるかというと、もともと体も弱く、小さく、運動が苦手だったからかもしれない。しかしいわゆる多くのビジネス書でも言われているし、周りを見ても、運動をしないことはもっとも不幸になる片道切符である、と学んだ。

でも健康的な生活をしようとした最初のモチベーションは着ている服が似合わなかったからだ。

服屋でマネキンの着ているタンクトップを買ってきて、家で着てみたがどうにも似合わない。なぜだろう?と思ったらお腹がぽっこり出ていたからなのである。それまで自分のお腹が出ているなど気付いたことはなかった。

せっかくオシャレのために服を買ったとしても、体型のせいでオシャレになれないんて!と思っていわゆるダイエットを初めて、運動もしはじめた。それ以来何かしらずっと運動をしているので、少しの努力をコツコツするのは出来そうなタイプだな、という気がしている。

昔はハイブランド(というほどでもないか)の服も無理して買っていたが、今ではマネキンがかっこよければ何を着てもかっこいい、という気持ちでいる。

その時に筋トレも始めたが、筋肉というのは偉大である。というかあればあるほどお得なものだ。怪我もしにくくなるし、体を効率良く扱えるし、私のように体が弱い人間がいざ怪我をしたり病気をしたりしたときに、それを治すための栄養となる。らしい。筋肉ムキムキの人は怪我をしても治りやすい、という話を聞いたことがある。エビデンスは持っていない。だが、納得いく話ではある。飲まず食わずで過ごした時、生命維持のためのエネルギーがどこからくるか?というと一番の貯蔵庫は筋肉だろう。間違っても脂肪から使われていくことはない。

体調維持のために、InBodyのような体組織型で数値を見ることを皆にオススメしているが、入院などずっと寝たきり生活、あるいは点滴生活、などしていると、筋肉だけがあっという間に落ちていく。それでも見た目は引き締まったように見えるのが不思議で、よく入院して痩せた、などという人がいるが、それは筋肉が落ちただけですよ、と言いたい。

筋トレの次に自分を健康的にした運動といえばキックボクシングだろう。

ただのエンジョイ勢ではあるが、それでもいわゆるHIITトレーニング、高強度のトレーニングと休憩を繰り返すトレーニングは、いわゆる脂肪を落として痩せる、というのに最も効果的なのだろうと思う。

キックボクシングのレッスンといったらまさにそれで、とにかく息が切れるぐらい動いて、そして休む、それの繰り返し、という構成になっていることが多い。痩せるには最適だ。オススメである。

 

と、ここまで肉体的に健康であっても、精神的に大丈夫かどうかというのは別問題である。スポーツ選手だってメンタルを病む。

でも肉体的にも病んでいたら、精神もつられて病んでしまうこともあるだろう。

せめてどちらかが健康であって欲しい。

というか、肉体と精神が釣り合う、というような考えが間違っているような気がする。

肉体とは畢竟精神の入れ物であり、神経のつながった乗り物だ。どちらが欠けても、人生という道を適切な速度で進んでいくのは難しいだろう。

 

攻殻機動隊といえば私は原作原理主義者だが、好きな設定で、どれだけ人格をコピーできても、やはり入れ物がヒト型をなしていないと、人間として理性を保ち得ない、というものがある。義体化するだけでもやはり精神的抵抗、心身の不一致を感じるという。

あくまで私達の心は精神にあるのだから、それに悪影響をもたらさない肉体を持つ、または維持することは幸せに直結するだろう。

 

そして話は戻るが、メンタルの状態が肉体にも現れる。「自分が自分じゃない」感じというのは、本来なら一致しているべき精神と肉体に乖離を感る状態であろう。その変化を感じ取って、メンタル安定に務めるのも、自分の幸せに直結することだと思われる。

 

些細な信号を逃さないようにしたい。そんな些細な信号を送ってくれる自分の肉体に感謝をしながら。