おねずみ三千世界

これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。

何かを得るには何かを捨てなければいけない

全くもってシンプルな話なのだが、皆忘れがち。

両手にボールを1つずつ持ったら、次のを持つ前にどちらかを話さなくてはいけない。3つ目、4つ目のボールをジャグリングしてたら寝ることもできないだろう。

自分が本当に大事にしたいものを離さず、そうでないものは手放しておくことで、また大事なものを掴むことができる。

 

こういう話もあります。

4つの鍋があり、その鍋にはそれぞれ名前がついている。

・友人

・家族

・健康

・仕事

あなたはこの鍋の3つしか火をつけられない。どの鍋に火を付けるか?

また、人生で成功するためには2つしか火をつけられない、と。

 

踏み台昇降運動をするのがネットで流行ったことがある。

私も運動不足を感じていたのでTVを見ながらしていた。あるいはゲームをしながら、本を読みながら。

もちろん踏み台昇降運動をしている分、TVやゲームに対する集中力は削がれる。それを嫌がって、踏み台昇降運動だけの時間を作って集中するのもいいだろう。

しかし1日は24時間、普段の生活のなかのゲームをする時間(に内包した踏み台昇降運動の時間)を作ることはできても、ゲームをする時間+それとは別の踏み台昇降運動もする時間、というのは作れないものである。

 

俗にペットを飼うと(特に犬)婚期が遅れるともいうが、これも同じ理屈である。

毎日ゲームを3時間する!あるいは英語の勉強を3時間する!という人がいたとして、その人がいい感じにになっているパートナー候補から映画にでも誘われたとする。

毎日ゲームするのが日課でも、まあちょっと映画ぐらい行こうかな、という時間が取れるだろう。これはいわゆるバッファ時間だ。

毎日英語を勉強する!としている人も、まあ好きな人に誘われたら遊びに行ったりするだろう。その分次の日に倍勉強すればよい。

だが、犬を飼っていて、毎日朝夕合わせて3時間散歩しなければいけない!という人がいたとして、じゃあこの時間パートナーと一緒にいたいから散歩の時間を無くして、翌日倍散歩をして……というわけにはいかないだろう。

つまり、1日の中に捨てることのない時間が生まれてしまう、ということだ。1日は24時間しかないのだから、これだけで他の人に比べて圧倒的に不利なことはお分かりいただけると思う。

こういう人は思い切ってすぐ同棲するなどして、散歩の時間そのものを二人のコミュニケーションの時間にするなどの工夫が求められる。

 

何かを得るには何かを捨てなければいけないが、捨てられないものが多くなると、途端に人生の自由度は減る。

だが自分の幸せが何か、というのをはっきりと理解してさえいれば、迷うことはないだろう。身軽に生きるのも、捨てられない大事なものを持つのも、全て自由にできるのが現代なのだから。