おねずみ三千世界

これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。

【読んだよ】人生後半の戦略書

良かったよ。

人生後半戦の私が読むべき本だ!と思って読んだ。助けになったような気がする。

本書後半のスピリチュアルな部分はまだちょっと受け入れられないが・・

 

引用が長くなってしまうが、気になる部分をメモっておく。

この考え方はさしずめ、「職業的威信と苦悩の相関法則」と呼べるかもしれません。要するに、落ち込みによる苦悩の程度は、過去に培った威信の大きさと、威信への執着度に直接関係しているのではないでしょうか。高い期待を抱かず、たいした業績を上げない人(または、高い業績を上げても仏並みに無心で、職業的威信に執着せずにいられる人)は、おそらく、キャリアが落ち込んでもあまり苦しみません。でも、卓越した業績を達成し、そのために深く打ち込んできた人は、避けられない落に直面したときに、激しい虚無感に襲われる可能性があります。それが苦悩の招待です。

私も高い期待はあまり抱かないようにしているが・・苦悩も和らいでいるのだろうか?笑

高い期待がないので、キャリア的な凋落はあまり危惧していないが、それでも安定した職(それもまた幻想だが)がなくなるのは恐ろしい。そのためにも副業なりなんなりで、勤め人をいつでも卒業できるようにしておかなくてはいけないのだが・・何事も人の三倍遅い私はまだまだそこまでいけていない。

 

それどころか、幼少期にギフテッドと認められるだけでも将来苦しむ可能性がある、と指摘するのが、テキサス大学オースティン校の心理学者キャロル・ホールハンとチャールズ・ホールハンです。2人は、幼少期に公的にギフテッドと認められた数百人の高齢者を調査し、次のように結論づけています。
「ギフテッドを対象とする調査のメンバーに自分が入っていると知らされたときの年齢が若いほど(中略)、80歳時点の精神的な幸福度が低いという相関が見られた」

期待が大きいほど裏切られた時のショックが大きいというのは皆知っている。

ギフテッドのように幼少期に期待が大きく、周りから優れているのが当たり前、という環境に置かれた後で、現実と戦うスキルが身についていないのに大人のバトルフィールドに放り込まれる。そのギャップが人生を瞑いものにしてしまうのかもしれない。

よく聞く話ではあるが「飛び級をしたら人生成功に近づくか」というと決してそうでもないのだろう。

 

レイモンド・キャッテルさんによれば、人には2つの知能、すなわち流動性知能と結晶性知能が備わっているとのこと。

流動性知能 (Fluid Intelligence) は、新しい問題を解決し、新しい状況に適応する能力を指すらしい。論理的推論、問題解決、抽象的な思考に関わる認知プロセスの能力と言える。これは学習や経験とは無関係に、生得的な能力と考えられている。流動性知能は、新しいアイデアを理解し、未知の状況に対応し、複雑な情報を処理する能力に寄与する。

一方、結晶性知能 (Crystallized Intelligence) は、学習、経験、文化的影響によって得られた知識とスキルを指す。これは、長年の学習と経験を通じて蓄積された知識の蓄積物であり、語彙、一般知識、事実や情報の記憶、言語や数学のスキルが含まれる。このタイプの知能は、既存の知識を活用して問題を解決し、複雑な概念を理解し、新しい情報を既存の知識と結びつける能力に寄与する。結晶性知能は時間とともに成長し、教育、読書、旅行などの経験を通じて強化されるという。

革新的なアイデアや製品を生み出す人は、概して流動性知能が豊かです。知能テストを専門としていたキャッテルの観察では、流動性知能は成人期初期にピークに達し、30代から40代に急速に低下しはじめました。

テック企業の起業家などの場合は、キャリア曲線は流動性知能曲線と実質同じです。だからこそ、あれほど若い時期にキヤリアが落ち込むのです。しかし他の分野、
2種類の知能を混ぜ合わせる必要のある分野だと、キャリアの頂点が多少後ろにずれます。そして、脳内の膨大な蔵書と、それを活用する能力にほぼ全面的に頼っているキャリアだと、ピークは人生のかなり遅い時期に訪れます

流動性知能はどうしても衰えていくもの。いわゆる成人発達理論で発達していくと言われる部分もこの結晶性知能だろう。

積み重ねていくことに意味がある、そんな能力を身に付け、育てることで、落ち込みからあなたを救うことになる、と。

 

(ハードワークによりプライベートが疲弊している友人に対して)結婚生活を修復し、子どもたちと過ごす時間を増やし、飲酒問題の解決に必要な支援を取り付け、睡眠時間を増やし、体調を改善するべきです。もともとは身を粉にして働いたおかげで成功したのは分かります。でも、何かをすることで二次的に不幸になっていると気づいたら、その行動を正すのが普通でしょう?たとえパン好きでも、グルテン不耐症になれば、体調不良を避けるために、パンを食べるのはやめるはずです。
彼女は私の質問についてしばらく考えていました。やがて私を見て淡々と言いました。
「私は幸福になるより、特別になりたいのかもしれないわ」

これにはガーンときた。みんな特別になりたがっているのだと。そして特別になったら幸せになれると勘違いをしているのだと。それは不幸だ。

 

gratt.hatenadiary.org

あなたは幸せになりたいのか、特別になりたいのか、自分の答えを知らなければいけない。

 

仕事依存でないかどうかのテスト。

1. 仕事後に大切な人のために使うエネルギーを残しておけず、抜け殻のようになるまで仕事をやめられませんか?
2. 人の目を盗んで仕事をしていますか?たとえば、配供者が日曜日に外出したら急いで仕事に取りかかり、配供者が帰ってくる前に机の上を片づけて、仕事の痕跡を消していませんか?
3. 仕事から離れて大切な人と行動をともにするよう配偶者などから提案されると、特別
急ぎの仕事がないときでさえ、不安になったり、不機嫌になったりしますか?

人の目を盗んで仕事する、こうなっては確実に仕事依存だろう。ダイエット中、深夜に冷蔵庫からアイスクリームを取り出すが如し。1,2,3どれか1つでも引っ掛かったとしたら、もうそれは危険信号だ。

 

西暦400年頃に書かれた、聖アウグスティヌスの「告白』に、素晴らしい一節があります。まず他者目線の成功を求める飽くなき欲が描かれています。「私は名誉を渇望し(中略)ほとばしるさまざまな思いに心を奪われ、平静を失っていた」

続いて、ミランの路上で乞食を見かけたときの描写です。なんと、聖アウグスティヌスは、乞食にひそかな憧れを抱きました。
「乞食は楽しく、私は不安。乞食は心配事がなく、私は不安だらけ」

王様と乞食、のような話だ。

どれだけ成功しても不安なのだとしたら、成功はある程度に留めておく、という必要が本当はあるのかもしれない。この本では一貫してそう主張しているようにも思う。

 

そんなこんなで、いくら成功しても、あなたはけっして満足できません。成功によって自尊心を保っていると、みじめな気分を回避するために延々と勝利を探し続けることになるでしょう。それは単純に、ホメオスタシスの働きによるものです。成功のもたらす高揚感はあっというまに中和され、みじめな感覚だけが残ります。あなたがまた成功を探すと分かっていると、脳は最終的に普段の感覚を「成功不足」ととらえるようになります。そのうちに、あなたは失敗したような気分にならないためだけに、絶えず成功による高揚感を決めるようになります。この現象を社会経済学では「快楽のランニングマシン」と呼びます

最近よく言われるのは、期待によってドーパミンが出るのだと。期待値と結果の差が重要であり、その差が縮まって来ると段々ドーパミンが得られなくなる。これでは最終的には成功のみによって満足することはできなくなるだろうことは想像だに難くない。

 

満足 = 欲しいものを手に入れ続けること

あなたの目の前には、つかの間の達成感というニンジンがぶら下がっていますが、実際には、感情という快楽のランニングマシンの上で同じ場所を走り続けているにすぎません。
しかも、能力が低下しはじめると、これまで以上に速く走っているにもかかわらず、ニンジンは徐々に遠ざかっていきます。このように、不満という問題が落ち込みの問題を悪化させます。

しかも成果を得るための能力(流動性知能)は下がっていくのだから、満足いく成果が得られ続けるはずもない。

 

満足 = 持っているもの÷欲しいもの

満足とは、持っているものを欲しいもので割った値です。前述の方程式との違いが分かりますか?前述の進化論や生物学に基づく方程式はいずれも、分子の「持っているもの」しか見ていません。今人生に満足していない人は、ずっと「持っているもの」だけに焦点を当ててきたに違いありません。分母の「欲しいもの」を無視してきたのです。「欲しいもの」を管理せずに「持っているもの」を増やし続ければ、「欲しいもの」は増殖し際限なく広がっていくでしょう。一歩間違えれば、成功の階段を上るほど満足感が減ることになりかねません。「欲しいもの」が常に「持っているもの」を上回ってしまうからです。そうなれば、満足感は下がります。

例では50歳の時にベンツを買ったが、30歳でシボレーを買った時ほど満足できなかった、という話が載っていた。なぜなら今度はフェラーリが欲しくなったから。欲しいものが際限なく増えていくと、どんどん満足できなくなっていく。こう見ると終わりのあるコンソールゲームでのコレクションなどは健全な仕組みである(?)。

 

満足は、より大きなものを追うことから生じるのではなく、より小さなものに注意を払うことから生じます。禅師ティク・ナット・ハンは、著書『マインドフルの奇跡』で次のように説いています。「皿洗いをしているときは、皿洗いだけに集中するべきです。つまり、皿洗いをしている間は、皿洗いをしているという事実を完全に意識しているべきです」。その理由とは?皿洗い中に過去や未来のことを考えているなら、「皿洗いをしている間は、生きていない」からです。死んだ過去を追体験しているか、観念の中にしか存在しない「未来に吸い込まれている」か、どちらかです。ですから、マインドフルであることだけが、本当の意味で生きていることなのです。

ここもガーンときた。効率ばかり求める人生では、満足を得られない。

以前、妻とともに親友たちの家にお邪魔し、庭で飲食していたときのことです。夕闇が迫るなか、親友たちの声掛けで、私たちは小さな閉じた花をつけた植物の周りに集まりました。「花を見ててごらん」、と親友が言いました。私たちはそのとおりにしましたー10分ほど、無言のまま。すると突然、花がパッと開き、毎晩こうやって咲くのだと教わりました。驚きと喜びで息をのみました。震えるほど満ち足りたひと時でした。
面白いことに、昔バケットリストに書いた大半のくだらない物事と違い、その満足感は持続性がありました。当時のことを思い出すと、今も喜びに包まれますー私が残したたくさんの世俗的な「成果」を思い出すときよりも、嬉しくなるのです。なぜなら、それは大きな目標が成就した記憶ではなく、思いがけない小さな幸運に感動した記憶だからです。

私も今までの思い出を振り返ると、ただ公園で寝そべって話していたことや、普段は作らない料理にああでもないこうでもないと奮闘していたこと、そのようなシンプルな思い出の満足度が高い気がする。やはりそこには過去も未来もなく、ただ現在を生きていたのだろう。

夜の海を見ながらただ時を過ごす、そんな時間が私には大事だと常々思っていた。そうしているといつも、自分の心の中にある子供の時の、泣き虫な自分がずっとそこにいることに気付く。しかしもっと心の奥底には、生命の根源たる力強さ、生への活力が湧き立っているのも感じる。

その時、ただ現在を生きているのだろう。そんな時に黙って横にいてくれるパートナーが私には必要なのかもしれないとふと思った。

 

だいたい、人々があなたのレガシーをあがめ続けたとしても、それがそんなに素晴らしいことだと、本当に思いますか?飛行機で出会った英雄を思い出してください。英雄が現在の地位にあれほど失望していた原因は、短期間だけ楽しんだ過去の名声や栄光との落差にあったのです。

本書で繰り返される、過去の名声や栄光との落差。強さや美しさはいつか枯れるものである。そうでないもの、いつまでも枯れることのない優しさや誠実さが大事なのではないか。

しかも、未来のことばかり気にしていると今を生きられません。ある知人は、生前、仕事の評判を極度に気にしていました。死期が近いと分かっていた最後の数カ月は、業績によって人々の記憶に残る方法を探してばかりいました。あなたが自分の仕事を本当に愛しているなら、働いているうちは働くことを楽しんだほうがよいでしょう。自分のレガシーを作るために試行錯誤してばかりいるなら、あなたはすでに死にかけているのです。

働きながら過去や未来のことを考えていたら、働きから喜びを得ることは難しいのかもしれない。現在を生きることができる、時間を忘れて没頭できる仕事ができているのならば、それはとても幸せなことだろう。

 

ポプラの個々の木は、巨大な1つの根を共有しているのだとか。

(中略)

私が見ていた「孤高」のポプラは、孤高ではなかったのです。巨大な根系から伸びた1本の枝木にすぎず、同じ植物から成る森の1つの生命の表れにすぎませんでした。

(中略)

セコイアデンドロンは密に群生することで、浅い根を絡ませ合い、次第に結合します。初めは別々の木ですが、成熟し成長するにつれて一体化するのです。

ポプラと赤杉は、「自己は幻想である」という仏教思想をほは完璧に体現しています。
仏教の世界では、私たちはみな絡み合っていて、「個々の」生命はより大きな生命の表れにすぎない、と考えられています。

結局人は個では生きられない。もし生きたければ無人島にでもいって自給自足で生活すればよい。

 

「幸福で健康」の予測因子には、私たちがかなり直接的にコントロールできる重大な因子が7つある、とのこと。

1. 喫煙。単純な話です。喫煙はしないか、せめて早めにやめましょう。
2. 飲酒。グラント・スタディでは、アルコールの乱用は、明らかに「不幸で病気」に通じ、「幸福で健康」を遠ざける代表的な因子です。あなた自身に不健全な飲酒の兆候が少しでもあるか、家系的にアルコール乱用のリスクがあるなら、その事態を甘く見たり、わざわざ危険な真似を犯したりしないことです。今すぐ禁酒してください。
3. 健康的な体重。肥満を避けましょう。正常範囲の体重を維持し、バランスの取れた健康的な食事を取り、リバウンドするようなダイエット、長続きしない無茶な食事制限はやらないでください。
4. 運動。座り仕事だとしても、習慣的に体を動かしましょう。これを実践する唯一にして最良の、そして実績のある方法は、毎日の散歩だと言えます。
5. 適応的対処。つまり、問題に真っ向から立ち向かい、問題を正直に評価し、問題にじかに対処します。過剰に思いつめたり、不健全な情動反応をしたり、回避的な行動を取ったりしないことです。
6. 教育。教育を受けたほうが、後の頭の働きが活発になります。言い換えれば、より長く、より幸福に生きられます。ここで言う教育とは、ハーバード大学に行くことではありません。生涯を通して、目的意識を持って学ぶこと、読書をたくさんすることです。
7. 安定した長期的な人間関係。これは夫婦関係である場合が多いですが、この定義に当てはまる関係は他にもあります。肝心なのは、人生に何が起きようと、ともに成長していける相手、倍頼できる相手がいるかどうかです。

まあどれも必須なのは間違いない。当たり前のことばかりだ。

6,7は大人になるほどに、人生からバッファがなくなるほどに忘れがちなので気をつけたい。

 

大衆文化なら「満足度を高める秘訣は情熱的な恋愛にある」と煽るでしょうが、それは間違いです。むしろ、恋愛の初期はたくさんの不幸を伴います。たとえば、絶え間ない悩み、嫉妬、「監視行動」など、幸福とは普通結びつかないものがつきものであるという研究結果が出ています。しかも、真の相手や愛は初めから決まっているという「運命思考(destiny beliefs)」だと、愛着不安と組み合わさったときに相手への許容度が下がることが予測されます。恋愛感情は私たちの脳を乗っ取りがちで、天にも昇るような高揚感や絶望の浮き沈みを引き起こす原因となります。ですから、正確には、「恋愛は幸福になるための初期経費」だと言えるでしょう。この盛り上がるけれどストレスも多い段階に耐えて初めて、本当に満足できる関係性にたどり着けるのです。
言い換えれば、幸福の秘訣は恋に落ちることではありません。愛し続けることです。そのためには、心理学で「友愛」、つまり激しい感情の浮き沈みに基づく愛ではなく、安定した愛情や相互理解や一途さに基づく愛が必要です。

少なくとも運命を感じてもいいが、その相手と一生添い遂げる、というような覚悟、決めが必要だろう。愛することと、愛し続けると決めることは違う。

どれだけ相手を愛しているとしても、自分の感情に振り回されているのなら、それは覚悟が足りないと言えるだろう。

 

友愛で結ばれた恋愛関係によって人間が最も幸福になれるのは、一夫一妻制の場合のようです。これは道徳的な観点ではなく社会科学的観点から言っています。というのも、2004年、1万6000人のアメリカの成人にアンケートを実施したところ、男女とも、「過去1年間の性的パートナーの数が1の場合が、最も幸福感が高くなると推定される」という結果が出たのです。

耳が痛い人も、そりゃそうだろうと納得する人もいるだろう。

ただ、理解できる結果である。長期的関係を構築するというのは難易度が高い。が、それだけの価値がある。

 

たまに、老後は成人した子どもが親しい人間関係の軸になるだろうと思っている人がいます。子どもは、つまるところ、私たちが文字どおりの意味でも比喩的な意味でも、最も投資してきた相手です。私たちのことを分かっているし、私たちも子どものことを分かっています。私の子どもたちを見ていると、まるで20代の自分を見ている気になります。この子たちが私の老後の親友になってくれるのでは?
その可能性は低いでしょう。私が成人した子どもと衝突するのはたいてい、私自身が親とどう付き合ってきたかを忘れているときです。両親は良い親でしたが、私は自立を望んでいました。ある程度の線引きが重要でした。邪険にしていたわけではなく、自分自身の人生を築きたかったのです。私の子どもたちも同じです。親子関係はすこぶる良好ですが、子どもたちは私の人生ではなく、子どもたち自身の人生に専念していますし、そうあるべきです。だからこそ、血縁でない友達との付き合いのほうが、成人した子どもとの付き合いよりも、ウェルビーイングと強く相関している、という研究結果が出ているのです。

親子の付き合いは義務から生じることが多く、友達との交流は喜びに動機がある、とのこと。仰る通りですね。「たまには顔を見せなきゃ」「親孝行しなくちゃ」というのはよく聞くセリフです。

親子関係が友達のように仲が良いことは、自立できてないという裏返しなのかもしれない。

 

成功者は「直近の損得勘定(marginal thinking)」が得意です。一時間一時間を、その時点で最大の利益を生むことに費やします。その場合に厄介なのは、短期的に明確な利益が見込めない人生の要素、たとえば人間関係が、常に損失と評価されてしまうことです。
そのせいで、たとえ療労して非生産的であっても1時間の残業を優先し、家族と過ごす1時間を後回しにします。これを何日も何年も続けるうちに、孤独と疎外という問題に悩まされることになるのです。

ヘイデン・クリステンセンの『イノベーション・オブ・ライフ』にある言葉らしい。効率を求めると本来得たいものを失うことがある。食事の時にTVをつけていたら、団欒を楽しむのではなく、TVを楽しむ時間に様変わりしてしまうだろう。

私も効率厨なので耳が痛い話である。

結局今に集中して、いかに現在を生きるか、ということなのだろう。

 

息子の一人が、高校生のときにこう聞いてきました。「僕が生きるうえで本当に手に入れてもらいたいものを3つ挙げるとしたら何?」。私は数日考えて、自分の出した答えに驚きました。答えは「幸福」ではありませんでした。幸福は重要ですが、目的と意義のある良い人生には、不幸もかかせないからです。お察しのとおり、「お金」「名声」でも断じてありません。さんざん考えて伝えた答えは、「誠実、思いやり、信頼」でした。その3つを身につければ、息子が可能な限り最良の人間になれると感じたのです。

今なら「マネーリテラシー」「英語」「ITスキル」などと答えてしまいそうですが、本当に身につけてほしいものはそうではない、という話。人間らしく生きなくては真の充足はない、ということかな。どれだけスキルを身につけたとしても誠実さに欠けた孤高の人になっては幸せとは言えないだろう。

 

もう何年も前、私には臨床心理士の友人がいました。友人はニューイングランドで開業し、事業は急成長しました。45歳には、憧れていたその職業で一流の地位にまで上り詰めました。しかし1つ問題がありました。昔から1型糖尿病を患っていて、すでに視力を失いかけていたのです。

(中略)

その後何年ももがき苦しみ、残酷な運命を与えた神を恨みました。しかしある日、女性から一本の電話がかかってきました。女性はメンタルヘルスの危機に陥っていて、治療を受けたいけれど、訳あって素性を明かせないといいます。事情を聞くと、超有名人で、セラピーさえも匿名で受けたいのだとか。女性が求めていたのはーーそして見つけたのは盲目の心理士だったのです。友人は女性に手を差し伸べ、その流れで、主に同様の治療を希望する有名人向けの事業を確立しました。

自分の弱さに向き合う。嘆いてばかりはいけない。著者は「防御するのでなく、無防備になれ」と言っている。

背が低いと悩んでいる人は、人に威圧感を与えないという長所と置き換えてみてほしい。私が思う私の弱さも、視点を変えれば長所なのだろう。卑しくて優柔不断で先延ばし癖のある愚図であり虚栄心の強い私は長所ばかりということだ。

 

「モダン・エルダー」になるための学びは4段階に分かれています。「硬直マインドセットからしなやかマインドセットへ変わる」、「新しいものを柔軟に受け入れる」、「チームで協働する」、「相談に乗る」、の4つです。

今、必要とされる年長者になるには、こレラの学びがいる。硬直マインドセットになっているかどうかなど、自分の認知では気付かないことが多い。まず自分を疑ってみよ。

 

相手を、環境を、過去の自分を変えようとするな。過去の栄光に縛られるな、伸ばすべきところは今までと違うところにある。そして今を生きよ。皿洗いをしている時は皿洗いに集中すべきで、過去や未来のことを考えていたら、その時あなたは現在を生きていない。

 

学びの大きい本であった。人生後半に入ってきて迷いが生じてきた(生じない人などいるのだろうか?)におすすめである。