おねずみ三千世界

これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。

みなし残業付き給与は実際の給与よりも低い

どこぞの会社で新卒の給料が月40万(みなし残業月80時間!)というのが話題になっていたが、「残業しなくても月40万もらえるならいいじゃん」と思うのは会社を舐めている。

メリットがあることしかしないのが正しい資本主義社会の企業というものだ。

見た目だけの給与を高くできる一方、基本給を低く抑えることができる。

tenshoku-miti.com

会社は従業員のことを馬鹿だと思っているので、こういう舐めたことをしてくる。

これが問題だ!と世論が形成されれば「うちもやめました」となる。

とりあえず怒られるまではやろう、というこすっからい根性である。

しかし上に政策あれば下に対策あり、だ。

会社も社員もどちらも化かし合い、後ろめたいなどと考えず自分の利益を考えることが第一に考えて行動するのが良い。

言われてするアウトプットはアウトプットではない

美大に入る人へのアドバイスが流れてきた。

 

 

色々と示唆に富む。

なかでも、

 

大学の課題をやるだけではアウトプットの機会に限界がある

 

はまさにそうだろうと思った。

学校の課題しかアウトプットしないのであれば先はないだろう。


大谷が野球部の練習しかしてないわけがないだろう。

会社で言われた仕事だけこなしていて出世するわけもない。

 

よくIT業界、特にSE、プログラマーで働くことに壁を感じる人がいるのは、できるプログラマというのは仕事以外でもプログラミングしたりITサービス、プロダクトを作ったりする人が多いからだ。

 

そういう時間を自分で持てないと大成するのは難しいし、そもそもそういう時間が無い、というのは自分が本当にしたいこと、面白いと思うものではないかもしれない。

 

逆に考えると、決められたアウトプットよりも多くのことをやりたくなるもの、それが自分の好きなもの、と言えるかもしれない。

 

何か与えられた枠を飛び越えてやりたいことがあるだろうか?

長い人生、それを見つけるために色々手を出してみるのも悪くない。

贖罪とは同じ罪を犯させないようにすること

この世で最もしてはいけない悪は、強盗でも殺人でもない。

他の人を悪の道に誘うこと、だ。

それの逆として、贖罪とは、自分の過ちに気付き、他の人に同じ罪を犯させないようにすることではないか。

心から訴える。体を張ってでも止める。時には傷つけることも傷つくこともあるだろう。

だがそれが贖罪なのだ。

 

他人を恐喝して捕まった有名人がいるが、罪を認めたなら贖罪としては他の誰かが同じ過ちを犯さないよう啓蒙していかなければいけない。

人を脅すということはどういうことか、何が悪かったのか、しない方がいい理由は何か、きちんとロジカルに、エモーショナルに説明をして、他の人が同じ陥穽に落ちないようにしなければいけない。

同じ過ちを他の人にもしてほしくない、というのは人間の根源的な優しさであると思う。

そういった人種のみが生き残ってきたので今の人類だ。

 

他の人に優しくあれ、と言っているわけではない。時に厳しくあって欲しい。

殴ってでも止めるべき時がある。

自分が損を被る時もある。

他人から非難されることもあるかもしれない。

 

ただ贖罪の気持ちがあるのなら甘んじて受け止めよう。

罪は消えないが、他の人とそういう関わりを持つことは自分自身を大きくしてくれる、と思う。

 

 

 

人は見た目で判断される

どんな綺麗事を言っても、人は見た目で判断されるというのは当然のことだ。

よく「外見は一番外側にある内面」と言われるが、全くその通りだろう。

社会常識に合わせた外見というのは社会的な内面の賜物である。

 

女性がどうしても人に舐められやすい、与しだきやすいと思われるのはデメリットだが、どんなデメリットにも裏面があり、人に警戒心を抱かせにくいというメリットもある。

 

カフェなどで前の席の人のコートが椅子から落ちた。

その時に、あなたが若い女性だったら「落ちましたよ」と声をかけた時に老若男女、誰でも「あ、どうも」「ありがとう」などと声をかけてもらえるだろう。

でも私のような中年男性の場合は声をかけた時点でビクッと警戒される。

礼も「どうも」ぐらいだろう。

これはあなたが老女であった場合も「ありがとう」と笑顔で言ってもらえるだろう。

 

見た目で危険度が測られるのはもう当然のこと。その事実を受け入れた上で行動していけば良い。身長が高い男性はモテるかもしれないが、二人きりの空間では警戒されがち。

それが差別だ区別だと言いたい気持ちは分かるが、メリットデメリットあるので自分である程度コントロールして取捨選択していくしかない。

輩のような格好をすれば舐められないだろうが、その分警戒される。

大人しそうなお母さんも金髪にすれば舐められにくいという話もある。

 

他人を変えるのではなく、自分を変えていくことでより良い人生にしていこう。

他人がこう変わってくれないと幸せになれない!という人生は辛く苦しいものである。

人間関係が多様なほど、自分にも深みが出ると思う

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私たちの時間は限られており、対人コミュニケーションの量を増やすことは困難だ。しかし、対人関係においてより多様なポートフォリオを目指せば、時間の多寡には関係なく、幸福度を上げることができる。

面白い。周りの5人の平均が自分だ、という話もあるが、その中でも分散が大きいほど、自分にも深みが出ると思う。

会社でしか人間関係がないと、どうしても似たような人とばかり付き合うことになるだろう。

私もジムで会うメンバーたちは職種も国籍も何もかもバラバラで良い。

そういった人たちの考え方、行動がいつの間にか自分にも影響を与えているものである。

 

自分に深みを持たせたい場合は、そういった人間関係を自分で故意に構築していく必要があるだろう。

そう入ってもなかなか難しいが・・SNSでそういった人たちと関わっていくのが端緒としてはいいのかもしれない。

まずは私と繋がってみるのはどうだろうか?(笑)

お待ちしています。

結果が出ないとやる気が出ない

これはもうたまご先か鶏が先かという話なのだが、やっている行動に結果が伴わないとドンドンやる気というのは萎んでいくものである。

目先の成功が見えないことに頑張ることも難しい。

コツコツやるには見た目か数値か何かしらで結果が出ることが重要となる。

逆に結果が出ることでやる気も出てくる。

 

頑張る→良い結果→もっと頑張れる

 

というポジティブループに入ることが重要。

というか重要だとわかってはじめてコツコツがんばれるのでは?とも思う。

「今は苦しいが、そのうち少しでも結果が出るはず・・!」

と思って行動すればいつか何かしらの結果が出る。

 

ダニングクルーガー効果で言うところの、絶望の谷に落ちていても、いつかポジティブな結果が出ることをわかっている、あるいは、ポジティブな結果が出るまで頑張ることはマストである、と頭で理解していることが大事だ。

www.recurrent.co.jp

マイルストンを設定するなど、自分で結果を取り出せるような工夫をするといいだろう。

大きなタスクを細分化する、というのはまさにこの仕組み化に適している。

まず結果を求めることも効果的ということを念頭に置いておこう。

ギブ・アンド・テイクとは簡単ではない

 

6.GIVEするから
Giveを本当にしてる人は、自分がGiveしたって言わなくないですか?
「Give」は受け取った側だけが使う言葉が本来じゃない?だって「Giveした」ってもう「Take」でしょ。押し付けて、なんらかのお返しを期待してるから。むしろ強めのテイカーというか。。

大人が、高校生とかに「Giveするから」って言って、何か関係性を作ろうとするのはズルいし、それをズルいと思ってないなら、普通にヤバい。

「俺ギバーだから」は、究極やばい。

「Giveした」ってもう「Take」でしょ、というのは完全に同意。

見返りを求めるGiveはTakeだ、という話は前も書いた。

 

gratt.hatenadiary.org

見返りを求めたらそれはもうギブ・アンド・テイクでなく、ディールである。

ギブの押し売りはテイクと同等。相手が欲しいとも言ってないゴム紐を売りつける行為と同じ。

 

とにかくギブをしていきたいとも思ってこんな記事も書いたが、

gratt.hatenadiary.org

結局2月は全然できていない・・。叔母の誕生日にクッキーを送ったぐらいだ。

そもそも人に会わないから仕方ない(笑)

ちょっと人に会うイベントを増やしていったほうがいいのかもしれないな、と思う。