おねずみ三千世界

これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。

行動のチェーン化

piyopanman.dev

私も1日1個のことをするだけで満足してしまう人間である。

会社のミーティングの後は30分ぐらい何もせずぼーっとしたくなる。

1 日に 1 ターンしか行動できない場合は以下のようになると思います。

買い物をするために外出する
買い物を終えて帰宅する
なんか知らんけど 1 日が終わってる
~完~
「買い物をする」という1つの行動のみで 1 日が終わってしまいます。悲しいです。
しかしここで、「複数の行動をチャンク化する」ことを意識してみると以下のようになります。

買い物をするために外出する
買い物を終えた後、すぐに帰宅せずにカフェに入って本を読む
帰宅したら、手洗いうがいをして買ったものをしまった後、椅子に座ったりスマホをいじったりなど一息つかずにすぐさま夕飯の準備に取り掛かる
やりたかったこと3つ全部できた! :happy_cat:

なるほど言われてみれば私がカフェで作業が捗るのも同じ理由かもしれない。

それぞれのタスクがバラバラになっているよりもひとまとまりとなっているほうが始動のためのエネルギーが少なくなるだろう。

ほとんどの人は

歯磨き→フロス

と連続してタスクを実行するだろう。これがバラバラの時間に行っていたらかなり面倒くさそうだ。

 

私も外に出てジムに行った帰りにはスーパーによって買い物をするのは苦ではないが、家から買い物に行くのは面倒くさすぎる。

これはただ単に部屋→マンション玄関→スーパーという移動時間が外に出たついでだから短縮できる、ということではないような気がする。

 

色々考えてタスクを繋げて試してみたい。

その際、チャンク化という言葉だとピンとこない(タスクを細分化してからまとめる?と思ってしまう)ので、

チェーン化、パイプライン化、オーケストレーション化というような言葉のほうがしっくりくる気がする。

どれもしっくりこないか・・

 

何にしろ、タスクを繋げること自体は試してみよう。

ファラフェルを食べてきた

tabelog.com

ファラフェルとは?

ja.wikipedia.org

ファラーフェル(アラビア語:فَلَافِل (文語発音:falāfil, ファラーフィル、口語発音:falāfel, ファラーフェル、英語: Falafel)は、ゆでひよこ豆やゆでそら豆をつぶして香辛料を混ぜ合わせ固めたものを食用油で揚げた中東の料理。手で丸めたり専用の型で押し出すなどして油に投入する。

 

お店のメニューには

ファラフェル、フムス、葉野菜を中心とした野菜がピタでサンドになっています

とあるので、今「あの油で上げたナスがファラフェル本体だったのか!」と分かった。美味しかった。

 

肉食であろうが草食であろうが、油で揚げればなんでも美味い。

天ぷらはその最たるもの。

世界は油で繋がっている。

 

フムスも美味い。

野菜もいっぱい食べられて満足。

 

たまには異国の料理、というか普段あまり触れていない料理を食べるのもよい。

新しい世界を垣間見た。

 

何か新鮮な刺激がないと人生は飽きていく。

かといって、刺激ばかりでも物足りなくなっていく。

刺激が期待よりも上回った時、

刺激が前の刺激よりも過激になった時、

はじめて人はドーパミンが出る。

 

より上位の刺激を求め続ける人生の最終地点は飽き。

自分で期待値を下げるためにも、今週はマックのチーズバーガーでも食べよう。

質問の意図を確認する

jp.quora.com

面接官に「この茹で卵を生卵にしてください。 」と言われたら、どうすればいいと思いますか?

あるあるのくだらない質問だが、回答者の答えがよかった。

「質問には質問で返す」

です。

この場合、面接官は困らせて、あなたの「反応」を見ています。

咄嗟の行動を見ているのです。

なので、慌てずに、静かに、こう言いましょう。

「茹で卵を生卵にするのはなぜですか?」

そう、何が目的なのかを聞いておかなければいけない。

ビジネスでもプライベートでもこれは同じ。

生卵が必要なだけであれば新しい生卵を買ってきてあげればいい。

生卵からまた料理をつくるつもりなら、茹で卵でも代替可能なレシピかもしれない。

あるいは今は必要でない量の茹で卵を作ってしまったのかもしれない。その場合は煮玉子などにして冷蔵しておくという手段もある。

 

質問の意図を確認することで「相手が本当は何が必要なのか」を知る。

遠慮や常識などから、本当の意図をそのまま質問することが憚れることもある。

そういう時にあえて踏み込んだ意図確認の質問をすることはすれ違いを起こさせない重要なスキルだろう。

 

まあこういった物理を無視した質問をしてくる時点で、その会社に入るのはよくよく考えるべきなのは間違いない。

ひたすら肯定して、自虐した時だけ否定してあげる

ひたすら肯定して、自虐した時だけ否定してあげる

これは確かに効果がありそうな話法だ。

そうでなくても精神的には病んでる人が多い時代である。

マズロー欲求段階説で言えば、生命や安全の欲望は満たされている人が多いのでそうなる。

生きるべきか死ぬべきか?というのは明日飲むもの食べるものが無い人間の悩みではない。

人間は水を飲まないと死んでしまうが、自殺方法で「水を飲まない」を選ぶ人はいない。

 

自分がどうするべきかと悩んでいる人には、そのままで大丈夫だよ、と栄養をあげるのがよいし、自分を否定して下の悩みが出てくるのであれば、それは「そこまで考えることはないよ」と否定したほうがいいだろう。

 

考えれば考えるほど、理にかなっている話法である。

これは使っていこうと思う。

マインドフルネスについてどこかでまとめたい

別に専門家でも研究しているわけでもないが、いわゆるマインドフルネスについてどこかでちゃんとまとめておきたい。

gratt.hatenadiary.org

指を包丁で切ってしまった!痛い!血も出ている!

という時に、心臓よりも指を上にする、傷口を抑える、バンドエイドをする、湿潤療法を用いるなど、意志の力ではない、知識知恵による対策のみが有効となる。

 

あ!指を怪我した!血が止まらない!というときにお酒を飲んで痛みを忘れることでやりすごそうとしている人がいたらヤバい人だろう。

 

これと同じく、「治れ〜治れ〜」と念を飛ばしていてもやはり怪我は治らないし出血も止まらない。

 

高ぶる精神よ収まれ〜としていても収めることは出来ない。滝行にでもいくしかない。

 

なんでイライラしてるんだろ?という時に原因はなんとなく分かるかもしれない。

そういや今日はあんまり寝れてなかったな、とか

ちょっと歯が痛いんだよな、とか

人生に対する漠然とした不安があるんだよな、とか。

 

でも原因は分かったとしても、そこから生まれた自分の感情をコントロールすることは難易度が高い。

よく練習通りに動けば大丈夫だ!とアスリートもメンタルコントロールを頑張るが、それでもうまくいかない、というのはよく聞いたことがあるだろう。

相当練習して、メンタルを1つ上の次元、あるいは別の次元に持っていかないと、本番でも練習通りの力は出せない。

 

究極的にはメンタルが9割。

カイジの鉄骨渡りも地上なら難なくできるが上空100mではできない。

「この鉄骨は地上100mにあるんだ。先も細くなっていて後ろから押されるかもしれないしビル風も吹いている・・!」

とイメージしても、リアルに緊張することは難しい。

 

「よーし、今からウンザリするぞー」と思っても、ウンザリは出来ないのが人間。
ウンザリする事柄があって、初めて本気でウンザリできる。

 

かようにして、自分の感情をコントロールするのは難易度が高い。

 

感情をコントロールするのは外部環境を変えるのが一番手っ取り早い。

鉄骨渡りの練習がしたいなら、やはり本番に近い環境でするべき

濡れているのがいやならプールに飛び込む。

失恋をしたなら他に没頭するものを見つける。

 

ただそんなに大きく環境を変化させるしか対処の方法がない!というよりも、自分の感情に向き合う手法があるほうがいいだろう。

それがマインドフルネス。

ようは自分の心の環境を変えるということだ。

主観から客観に、近視眼的考えから鳥瞰俯瞰に。自分という存在から他社を含めた世界や社会という存在に視点をずらしていく。

自分はなんて不幸なんだ、と思うよりも、社会人としてどうあるべきか?と考えるほうが気持ちが楽になる場合もある。

よくあるのは例え話の活用だろう。これは視点をずらすと「なるほど、確かにそうかもしれない」と納得しやすくなる。

「あなたは北風になりたいのか?それとも太陽になりたいのか?」

と聞いただけで

「なるほど確かに」

と思う場面は多い。なんとなく心当たりがあったりするのではないだろうか?

 

時間を見つけてこれらのことをまとめていきたい。

称賛されるとそれに固執してしまう。

これはおそらくさかいふうた氏の発言だと思うが、

メディアや書籍で称賛されている企業ほど、その最強神話が「自社原理主義者」を生み出してしまい、むしろ衰退の引き金を引いてしまうという話となります。

というのがあった。

これは驕り高ぶる以外にも自縄自縛に陥ってしまうということだ。

Twitterはこういうのもあった。

今まではこうやってきた&それで外の評価を得てきた、となるとなかなかそのシステムを変えることは難しい。

難しいから時代が変わってもそのまま続けて、外圧がかかってきたところでやっと「これは問題だ」となる。

過去の栄光に浸らないようにしなければ。

自分が得意なことも自分から手を加えるなどして変えていけるようにしたほうがよい。

いったん効率が落ちたり、トップから落ちたりするかもしれないが、常に変化ができるということは自分の強みになるはず。

 

強いものでなく、変化できるものが生き残ってきた、とよく言われる。

個人であっても組織であってもそうあるべきだろう。

そこには強靭な意思が必要なのかもしれない。

敢えて自分を不利な状況に持っていくのも、変化を与えるにはいいかもしれない。

 

周りがどういう時に変化して進化しているかを観察するのも良いかもしれない。

私もこれからそういう視点でよく見てみる。

何か気づきがあればまた記しておくことにしよう。

推し活もいいが、身近にいる人に全力投球したほうがいい。

世に推し活というものあり。

遠い誰かを推すのものいいが、身近にいる人に全力投球したほうがいい。

私も時代的にモーニング娘。とかが好きだった。小泉今日子は好きだった人に顔が似ていたので好きだった。顔のタイプでいえば、鶴田真由小沢真珠が好き。

かといって基本的には芸能人に惹かれることはない。

そんな人達を推したところで私が求める実人生での幸せに結びつかないからだ。

 

なぜ結びつかないのかといえば、最近見た言説では、結局自分が出せて受容できるドーパミンの量は限られているから、という説だ。

確かに1日中ハイでいるわけにはいかない。それはもう廃人である。

結構色々な実験で一日の行動量が決まっている、というような結果が出てる。

toyokeizai.net

www.businessinsider.jp

運動したらその分他の活動が減るなどして、消費カロリーはあまり変わらない、という。

普通に考えて運動しただけカロリー使って、基礎代謝も変わらなければ、そんな動物は生き残れないだろう。生命維持のためにはそういうホメオスタシスが働いている、と思ったほうがいい。

そうすると、ドーパミンを出したり受けたりする量もある程度セーブされていると思ってもいいのではないか。そういう人間のみ生き残ってきた。

 

推し活のような活動をするのものいいが、一日で出るドーパミンの量は限られているのだとしたら、全部自分の大事な人に使ってほしい。

 

恋人に一ヶ月ぶりに会う男が、禁欲的な生活を送っていた場合とそうでない場合、どちらのほうがあなたに情熱をぶつけてくれるだろうか。

自分の収入のほんの一部だから愛人にお手当を渡してもいいか?と配偶者に聞いて、「いいよ」といわれることも、まあないだろう。それが「自分のドーパミンの一部を外の人に使ってもいいか」というのと同義ではないのか。

恋人がいるのにアダルトビデオでずっと自慰行為を続けて、お気に入りのポルノ女優の新作が出たら漏れなく購入し、その女優のサイン会にも足繁く通う、という人を恋人にするよりも、自分だけを見てくれる人のほうがいいと私なら思う。

ブラッド・ピットのようにいつまでも若い新人AV女優を取っ替え引っ替え観賞し性的な欲望を満たすよりも、側にいるパートナーとお互い一緒に年を取って、それを喜びと感じるほうが良い人生なのではないか。

何もかも無限に湧いてくるリソースはない。

そのことを忘れないようにしたい。