おねずみ三千世界

これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。

信念を持つということ

信念を持つには、心からスタートするべきか?技からスタートするべきか?

やはり持ちたいと思っていないと持てないので、心からスタートするべきだが、持ち続けるには心技体全てが必要となるだろう。

 

持ちたいと思わないと持てないし、維持しようとする術をしらないと維持できないし、不健康であれば信念を持つどころではない悩みが出てくる。

 

 

自分がどういう人間でありたいか、

信念はこのために必要だ。

信念があるからなりたい自分になれるとも言える。

 

信念とは、倫理的な価値観であり、自分が行動する際の指針となる役割を果たす。

 

誰かに言われたからやる、とか、誰かのためにやる、というものではない。


君が大事にしたい人がたとえいなくなったとしても、自分の心の中にはいる。

もし大事な人のためだけに行動していて、大事な人さえ傷つかないようにしていればいい、という態度であれば、やはり自分の行動を取り繕うだけになってしまうだろう。いい子を演じているだけ。もしその大事な人がいなくなってしまったら、無軌道好き勝手に行動してしまうことにならないだろうか?

信念を持つというのはそういうことではない。

 

今まで厳しく親がお菓子などを制限していた子供に、親が亡くなったからと親戚が育てることになり、潤沢な小遣いを与えて、自由にお菓子を買って食べていいよ、となったら、その子供はどうするだろうか?


マシュマロ実験で私が好きな話、マシュマロを食べなかった子供たちの行動である。

gratt.hatenadiary.org

ただ食べるのを我慢しようとする子は、マシュマロを見つめながら「がまん……がまん……」と耐えるのですが、結果食べてしまう。でも食べない子は、あえてマシュマロを見ないようにする、おもちゃで遊ぶなど他のことでマシュマロへの欲望を昇華し、マシュマロの存在を忘れようとするというような話でした。

ただ我慢する、などというのは大人でも難しい。ようは決めの問題。食べない、と決めたら食べない。なので食べないための行動をするのである。

 

誰も見ていなくても自分が見ている。

一度自分が何を求めているか、どんな人間になりたいのか、一番大事にしたいものは何か、じっくりと考えてみる必要があるだろう。