おねずみ三千世界

これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。

自分がどういう人間かを知る、ということが人生に取って大切

自分の哲学を知る。

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これは「最高の体調」でも見た「価値観の確立」に似たポイントでして、「自分はどのような人間か?」がはっきりとわかっていれば、たとえ周囲から変な目で見られたとしても、ぶれずに行動することが可能になるよねー、みたいな考え方です。

ぶれずに行動することは難しい。でも自分という軸がしっかりしてさえいれば、ぶれたとしてもまた回転して同じところに戻ってこれる。これはそのための記事かもしれない。


私も自分が何となく見えてきた。

自分を象徴するものとはやはり「安定」「ダイス」「データ」なのだと思う。

この3つを合わせたものが自分である。挑戦すればするほど(ダイスをふればふるほど)、平均に回帰していく、つまりそれが安定となる。そしてダイスを振った目を採用するか、それともまたダイスを振るかという選択肢は常に自分にある。自分の運命は自分で決める。

確率が低いことでも、挑戦していける自分を誇りに思いたい。

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そしてデータによって、自分の行動指針が決められる。

主観だけでは人生を誤ることがあると客観的なデータも言っている。人間はバイアスに囚われるものなのだから、それらを解き放すためには、データが必要だ。

宗教は私にはいらない。反証可能性がないものは自分の道標として採択できない。

私には人の気持ちや義理・仁義の基となるデータも沢山つまっている。それは常にアップデートされている。

この世にはもっと効率的に生きる方法や、効率的に生きすぎてはいけないというような先人の知恵やデータが溢れている。

そういった自分以外の力も使う、ということがまさに巨人の肩に乗るということではないか。

 

安定はまさに俺が求めていることだ。バランス、中庸もここに含まれる。

子供の頃から特に体が強くもなかった自分は、生来安定を求めていたのかもしれない。なりたい職業は郵便局員(安定しているから)という小学生だった。

今では分かる。自分が安定していないと人を救えない。人を支えたいのであれば自分がしっかりと地面に立っている必要がある。

漫画・小説・ゲームで育ち、ヒーロー感が抜けない私が歩む人生とはまさにそれなのだ。(それはヒーローものではなくピカレスクかもしれないが)

私はのび太だし、ポップだし、ラスコーリニコフなのだ。

それから目を逸らすことはできない。

どこまでも理想を求める青臭い人間なのである。自分は灰原であり、泉新一であり、アンなのだ。

 

世間では後ろ暗いことだったり、目を覆いたくなるような真実だったりに触れて、それを人生の一部としなくてはならず、辛く、悩むことがあるかもしれない。

でも、自分の理想は、そんな瑕疵のない人生だろうか?

例えば傷つき、倒れても、全てを受け入れて、また起き上がり果敢に挑戦する、そういった人生を望んでいるのではないのか。

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今自分が抱えている問題を人生の「試練」だと思えば、それで心が楽になる気もする。

全身の入れ墨を見て、朱美を捨てる灰原が見たいだろうか?

(C)青木雄二

抱きしめて肌が温かい、それだけで十分じゃないのか。

 

犬をゴミ箱に捨てるところ見ただけで、百年の恋も冷めて新一から離れていくのだろうか。

(C)岩明均

私がどういう人間か、というのを私は知っている。

自分の哲学があるし、自分の価値観も認識している。

良いところも悪いところもある。

そんな自分に誇りに思い、自信を持ってこれからも生きていきたい。