おねずみ三千世界

これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。

推し活もいいが、身近にいる人に全力投球したほうがいい。

世に推し活というものあり。

遠い誰かを推すのものいいが、身近にいる人に全力投球したほうがいい。

私も時代的にモーニング娘。とかが好きだった。小泉今日子は好きだった人に顔が似ていたので好きだった。顔のタイプでいえば、鶴田真由小沢真珠が好き。

かといって基本的には芸能人に惹かれることはない。

そんな人達を推したところで私が求める実人生での幸せに結びつかないからだ。

 

なぜ結びつかないのかといえば、最近見た言説では、結局自分が出せて受容できるドーパミンの量は限られているから、という説だ。

確かに1日中ハイでいるわけにはいかない。それはもう廃人である。

結構色々な実験で一日の行動量が決まっている、というような結果が出てる。

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運動したらその分他の活動が減るなどして、消費カロリーはあまり変わらない、という。

普通に考えて運動しただけカロリー使って、基礎代謝も変わらなければ、そんな動物は生き残れないだろう。生命維持のためにはそういうホメオスタシスが働いている、と思ったほうがいい。

そうすると、ドーパミンを出したり受けたりする量もある程度セーブされていると思ってもいいのではないか。そういう人間のみ生き残ってきた。

 

推し活のような活動をするのものいいが、一日で出るドーパミンの量は限られているのだとしたら、全部自分の大事な人に使ってほしい。

 

恋人に一ヶ月ぶりに会う男が、禁欲的な生活を送っていた場合とそうでない場合、どちらのほうがあなたに情熱をぶつけてくれるだろうか。

自分の収入のほんの一部だから愛人にお手当を渡してもいいか?と配偶者に聞いて、「いいよ」といわれることも、まあないだろう。それが「自分のドーパミンの一部を外の人に使ってもいいか」というのと同義ではないのか。

恋人がいるのにアダルトビデオでずっと自慰行為を続けて、お気に入りのポルノ女優の新作が出たら漏れなく購入し、その女優のサイン会にも足繁く通う、という人を恋人にするよりも、自分だけを見てくれる人のほうがいいと私なら思う。

ブラッド・ピットのようにいつまでも若い新人AV女優を取っ替え引っ替え観賞し性的な欲望を満たすよりも、側にいるパートナーとお互い一緒に年を取って、それを喜びと感じるほうが良い人生なのではないか。

何もかも無限に湧いてくるリソースはない。

そのことを忘れないようにしたい。