上記記事では本当に大切にしなくてはいけない人は誰か?という話しを書いた。
本は実例だが比喩でもあり、何事においても本当にあなたが大事にしたい人との関係構築を後回しにするべきではない。
だが、本当に大切にしなくてはいけない人は誰か、というと、それはあなた自身である。
自分がどうなりたいか、という優先順位を間違わないようにしたい。
私が好きな言葉は「義を見てせざるは勇なきなり」である。
何か間違ったこと、自分が正しいと思ったことも、勇気がでずに出来ないこともある。
カフェで目の前の人が自分の椅子にかけた(つもりの)コートが床に落ちた。
コートが床に落ちるのは自分に置き換えてもいやなもの。
そして目の前の人は気づかずにそのままコーヒーを飲んでいる。
こういったシチュエーション。あるあるなのだろうか?
こういう時に声をかけたいが、相手が女性だと「(ひっ・・)」というリアクションをされることも多いし、男性だとそもそも非コミュなので、ノーリアクションのこともある。
こういう場合は何と声をかけるのが正解なのだろうか?
そもそも声をかけないほうがいいのかもしれない。いつかは自分のコートが床に落ちていることに気付くものだし、私に何の得もない。
ただ、こういった時に声をかけられる人間、かけられない人間、どちらでいたいかと思うと、声をかけられる人間になりたい。
自分にとってメリットはない、と思うのだが、どういう自分になりたいか、という点においては大きく違うような気がする。
私は私がなりたい自分になる。
そのための金や時間や勇気などのコストは気にしないようにしたい。
そのリソースよりも自分がどうありたいか、という優先順位のほうが高いのだ。