おねずみ三千世界

これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。

推し活とは

昔は私もモーニング娘とか好きだったので、気持ちは分からなくない。

でも画面の向こうの人よりも、直接触れ合える人が欲しかったので、そういう熱は冷めてしまった。

 

絵に描いた餅、儚い夢。

自分は本当は何が欲しいのだろうと考えてみたほうがよい。

 

この声優さんの声が好き、と言った人がいた。

そんな人の声が聞くのは幸せだろう。しかし人生を振り返った時に、声は少し落ちるけど、毎晩おやすみと隣で言ってくれる人がそばにいることのほうが幸せだったりしないだろうか。

 

憧れの対象を持つことのネガティブな側面について考えてみたことがあるだろうか。

ポジティブな気持ちだけで、光あるところには影がある、ということに気付かないのかもしれない。

1対Nで対象に憧れを持ち、あまつさえお金を使うという行為は、自分の人生にどういう結果をもたらすのか、あるいはもたらなさないかを考えてみるのも大切だ。

 

月は遠くから見るから美しいと言った人もいる。

それを自分で認識できていればよい。

認識できているかどうかは次のような思考実験である程度掴めるだろう。

 

・ばん!突然憧れの人と会えて、話ができた。その時どうする?

私はこうこうこういう人ですと身の上話をして、他にも雑談をするのだろうか。その時相手から「(はーつまんねーヤツ)」と思われない自信はあるだろうか?相手を楽しませることは出来るのか。もちろん相手はあなたに向かって演技をしてくれるわけでも、歌を歌ってくれるわけでも、講演のように持ちネタを話してくれるわけでもない。

自分がその人と対等に渡り合えるかというと、あこがれを持っている限り難しいだろう。

 

・その人に対等に渡り合える状態に自分がなれた時、本当にその人がいいのだろうか?

一流アイドルにも物怖じしない人格やステータスを手に入れたあなた。その時、本当にその人が必要なのだろうか?大企業の社長であればアイドルを長年愛人にしておけるし、ベンチャー企業の社長でも石原さとみと付き合えるというのに、そんなステータスを得たあと、あなたの憧れの人に100%注ぎ込めるだろうか?

 

・自分の人生に必要なのは、憧れの人か、そばにいる人か

推し活をしながらも幸せな恋愛や結婚生活をしたい、というは無理がある。

東大に入りたいけど、仮面浪人をしているようなものだ。

恋愛したい人と結婚したい人は違う、と結婚相手に言うようなものだ。

妻はもう家族だからセックスなんて出来ない、というようなもの。

愛車に毎日乗っていたいが、フェラーリも欲しいというようなもの。

 

実際にフェラーリを買ったら、愛車に乗る時間は減る。維持費も倍(以上)とコストもかかる。一見夢を叶えたように思うかもしれない。でも愛は選択可能ではない。効率を考えてもいけない。

自分の恋愛感情というリソースをどこに注ぐかという選択そのものが愛なのだ。

 

もし自分だけのパートナーが欲しいのであれば、恋愛の選択と集中について内省してみよう。