おねずみ三千世界

これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。

言語化の功罪

何事も言語化しないと始まらない。

誰かに伝えたいことがある場合、言葉にして伝えないと誤解をまねくことが多いだろう。

トップダウンで敷衍したい場合も、伝えたいことを言語化してメールや動画などで知らせる必要があるし、上司に換言したい場合も、言語化して伝える必要がある。

 

しかし最近みた言説で面白いものがあった。

 

言語化とは概念を切り取る行為であり、そこで描かれなかった部分を見落としてはいけない、と。

 

なるほど確かに、言語化すると、言語化しきれなかった部分がどうしても生まれてしまう。

誰の言葉だったか、「想いは言葉にした瞬間に嘘になる」というのがあったが、まさにそういうことだろう。

想いを100%言葉にすることは出来ない。

言語化した際に溢れた部分にも大事なことが残っている場合がある。

それを伝えるには、やはりコミュニケーションの量も必要となってくるだろう。

想いを形を変えて何度も伝えることにより、段々と想いの本当の形が見えてくる。

 

1on1ミーティングでは、必ず決まった間隔で定期的に「行われる」ということを認識してもらうのを大事にしていた。

前伝えきれなかったこと、あるいは誤解されたかも、と思えることが、必ずまた伝える機会がある、ということが大事だと考えたからだ。

 

言語化はコミュニケーションに必須であり、それで溢れる部分には量で対処できるのでは?という考えでいる、という話。