おねずみ三千世界

これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。

善意も良い結果を生むとは限らない

あなたが善意でした行動であっても、それが本当に良い結果を生むかは分からない。

こんな話を聞いた。

あるレストランで一人の従業員がサービスとして水ではなく自分の家からお茶を持ってきて、それを出していたらしい。(家がお茶屋さんなのだろか)

それはとてもお客さんにも喜ばれた。

しかしその従業員が退職してしまうと、もちろんサービスは水に戻る。

お客さんは今までお茶がもらえてたのに、水しかもらえないことに憤慨して、事実上サービス低下に繋がってしまう・・と。

 

全く悪気なく、どちらかというと親切心からお茶をサービスしていたのだろうが、結果サービスの低下を招いてしまった。

 

私の身内が老人ホームで働いていたが、学生が実習に来ると、何でもかんでも入居者の面倒を見ようとして困る、と愚痴をこぼしていた。

老人ホームに入居している老人でも、自分で出来ることは自分でやらせないと、どんどんどんどん衰えていってしまう。なのに学生は自分が学んできたことを全て発揮しようと、身の回りのことを何でもやってしまうという。

そこまでやる必要はない、と注意しても、学生から「だって困ってるじゃないですか!」と逆に怒られる始末。

そして学生がいなくなった後で、「若い子たちは色々してくれたのに、あなたたちは冷たい!」と老人から誹りを受ける。今まで受けていたサービスの質が落ちて困るのは職員と老人たちである。

支援を受け続けないと暮らせない状態にしてしまうのは引きこもりの子を生み出しているのと一緒だろう。

 

よかれと思ったことが悪い結果を招く場合もある。

短期的にいいことが長期的にいいこととは限らない。

 

ギバーになるのは、感謝もされて気持ちいいものだ。しかし本当のゴールは何かというのは常に考えなくてはいけない。