おねずみ三千世界

これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。

自由さと不自由さは隣り合わせ

例えばパートナーと一緒に時を過ごすといっても、自分が一緒にいたい時は一緒にいてくれて、自分が一人でいたい時は放っといてくれる。そんな人が理想の相手だ、という人も多いのではないだろうか。

でも、自分が一人でいたい時にそうしてくれるというのは、裏を返せば相手が一緒にいてほしいときには自分が一人でいたい時であっても、相手に付き合わないといけないわけで、パートナーがいる時の自由さと不自由は隣り合わせといえる。

それを自分だけはそうしてほしいが、相手の要望には答えたくない、というのは、どう考えてもワガママであり、そのような人間が対等な関係性をパートナーと構築することはできないだろう。

これをベースに考えていくと、ご飯を奢って欲しい人は、相手にご飯を奢る必要があるし、家事をしてほしい人は家事をしてあげる必要がある。金銭面で頼りたい人は、頼られることも求められるし、トロフィーとしてパートナーが欲しい人は、相手のトロフィーとしても居続ける努力が欠かせないけないだろう。

パートナー同士が足りないものを補い合うという関係を持つという時代は過ぎ、お互いが持っているものをシェアし合う時代になったのだと感じる。

つまり決定的に何かが足りない人間というのは、対等なパートナーシップを作れないので、相手を探すことにとてもハンデキャップがある、という時代になってきている・・ような気がする。