おねずみ三千世界

これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。

自分を好きになるための行為を繰り返す

自分を愛せないことには人も愛せない。

自分が満足してなければ人に施すことはできない。

当然のことだ。

 

ではどのようにすれば自分を好きになれるか。

最近聞いた話では筋トレなどでボディメイクすること、歯を綺麗にすること、これらが勧められていた。

これらは確かにほとんどの人が効果を実感できるし、いやでも毎日鏡などで自分の体や歯を見ることになるので、自分に自信をつける費用対効果も高いだろう。私からもオススメです。

 

そして「ちゃんと生きていこう」と思っていれば、自然とそういう行為を身につけていくのではないかとも思う。

私が下手なりに自分が美味しいと思う料理を作るのが好きなのも、そういうことかもしれないと改めて思った。最初は気づかなかったが。

 

もともと、小説のキャラクターに感銘を受け、料理を作れるということにメリットがあるなと感じて、修行のように料理をしていた。

gratt.hatenadiary.org

 

自分が好きな食事を自作できるということは、田舎でも海外でもどこにいっても同じものが作れるわけだ。(材料が変わってしまうというのもまた面白いという話はまた別のところで)
そんな可能性を広げるのが嬉しくて、料理を作るのが好きになった。そしてそのスキルが上がっている自分も好きになる。

 

私は田舎出身だし、バブルドラマを見て育った世代なので、とにかくオシャレなレストランとかが大好き。以前はなかなかの食道楽で色々なお店に行って、様々な料理を食べてきたし、いわゆるモテるお店(笑)とかもよく行っていた。それで実際にモテたかどうかはさておき。

でもそんなお店をたくさん知っている、ということが自分の自信には直接繋がらなかったんだろうな、と今は思う。そういったお店を訪れて、豪華な食事を食べ、いっときは満足するのだが、自分の中に何かが積み上がることは無い。

多くの美味しいお店を知っているよりも、少しでも料理のレパートリーが増えたほうが幸せだった。

「美味しいお店、100軒知ってます」ということが、5年後10年後、自分の自信に繋がっているか?そのことによって自分を好きになれるか?というと、私の場合はそうではなかった。

それよりも、「料理をコツコツやってきて、レパートリーも多少増えたし、練度も上がったなあ」という自分のほうが好きになれた。

(もちろん記念日とかに美味しいレストランに行ったりするのはアリ中のアリ🐜)

10回同じお店に食べに行っても味は変わらないが、10回同じ料理を作れば確実に何かが変わるのではないか。

 

私にとって、人を愛するという行為も同じではないかと思った。

色々な人に愛されたい、たくさんの人に自分が必要とされていると実感したい、などと思う気持ちはとてもよく分かる。

でもそんなことを続けていて5年後10年後、一体何があなたに残るだろうか?

それよりも、たった1つの愛をコツコツと育むこと、そのほうがあなたの人生にとってよっぽど意義があることではないのだろうか。

 

自分のためにも、愛する人のためにも、まず自分を好きになるための行動をしてほしい。