昔、野心を抱け、というオーディオブックを繰り返し聞いていた。
そして3つほど自分の礎になっている部分があるな、と思うのだが、その1つが
「自分の体を古いお寺のように扱いなさい」
というものだ。
床や柱を拭いて磨いたり、弱くなったところを適度に補修していけば、末永く使えるだろう。
しかし本堂でどんちゃん騒ぎを繰り返していたら、すぐに駄目になってしまうに違いない。
この言葉自体は海外文学やドラマなどでも度々聞くので、外国で一般的に言われていることなのだろうが、この言葉のおかげで自分の体を丁寧に扱ってきたと思う。
食事に気をつけて、適度な運動をし、こんなメンテをしたほうがいい、という情報もアップデートしてきた。(睡眠だけはまだ改善の余地があるが・・)
ポイント2.長期的な決断をするとは、未来の自分と仲良くしてやらねばならない
私たちは、見ず知らずの人と接するときには、どこか利己的になったり、自己中心的になったりする傾向がある。これは、私たちが悪党だという話ではなく、ただ見知らぬ相手には共感力が発動しないだけである。そのため、私たちは、状況によってはいくらでも利己的な行動をとる可能性がある。
以上の問題は、未来の自分についても発動する。未来の自分は私たちにとって他人のように思えてしまうため、多くの人は、彼ら(未来の自分)のためになることをしない可能性が高まる。そのせいで、食べ過ぎ、使い過ぎ、貯蓄不足といった問題が起きてしまう。
私は「自分の体を古いお寺のように扱いなさい」という言葉によって、今の自分と未来の自分が地続きな関係を保てていたのだな、と思った。
誰だって大事な人には丁寧な扱いをしたいと思う。今の自分を愛して、未来の自分も愛することが、幸せに繋がる1つの道筋なのだ。