あなたの情熱が注げるものを仕事にしましょう、というのは最近よくある言説です。
自分の好きなものを追いかけるんだ。つまらないと思う仕事をしているには人生は短すぎる、情熱の赴くままに行動しろ、など。
しかし情熱仮説は単に間違った方向へと導くだけでなく、パラシュートを確保する前に「今すぐ飛び降りろ!」と言うフレームワークである。この仮説は、成功するためのスキルやそのための時間、そういった個々人としての準備を軽視しているのです。
少し前に、大学をやめてフリーランスになりました!というのがミームっぽくなっていたが、まさにそれだろう。
狩りや採取のスキルを身に付けずに集落の外れに住むはぐれ者になってはいけない。ま、いけなくはないが、サバイブする可能性は低くなるだろう。
周りに無責任な大人しかいないとそういう人生を歩みがちだ。私のように。
まず世の中で生きてける能力を身に着けてから、色々チャンレジしたほうが良いという考えは全く理にかなったものである。なぜなら自分がよちよち歩きであることに人間というのは、現代文化というのは気が付きにくくなっているからだ。
誰もがすぐに自分は一人前だ、と感じられるようになっている。
とんでもない。
自分の畑を持って耕せるようになって、自分で狩りをして獲物を解体できるようになって、それを何サイクルか滞り無く行えて、そこで初めて一人前である。
あなたが何か挑戦しようというのはそれからでも遅くない。のかもしれない。