おねずみ三千世界

これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。

体の傷と心の傷

橘玲の『言ってはいけない』を読んでいる。

知ってることもあれば知らないこともあり。何となくその通りなんだろうな、と想像できる内容については特に腹落ちしやすく面白い。

残酷すぎる真実、というサブタイトルがついているが、シンプルに残酷な内容の話もあった。

体に傷がついたほうが、結果心の傷は癒えやすい、というような話なのだが、人間の進化、というか淘汰圧の結果、そういったタイプが生き残れてきたんだな、というのは納得できる気がする。人間は集団の生き物なので、自分の評価よりも他人の評価が時に重要なのだな、と。

こういった進化圧というか淘汰圧の話は、今私達のようなタイプの人間が生き残っているという事実があるので納得しやすい。人間は自分の弱さや強さを嘆いたり誇ったりするものだが、今あなたがこの世界にその性格や特質を持って生まれてきているというのは、それが人類にとって正しい(現状を繁栄と見るのなら、だが)選択、淘汰が行われた結果なのだ。

 

思考実験として、心に傷を負ったほうが、体の傷が癒えやすい、などというものがあるだろうかと考える。

例えばトラウマが体を休めるなど。戦争戦闘時のPTSDが、退役してから二度と軍に入隊したいとは思わなくさせる。そうすれば再び過酷な環境で体を痛める可能性は減るだろう。

狩猟採集時代だったらどうだろうか。狩りが苦手な人は、獲物に反撃されて、辛い思いをすることが多かっただろう。そんな人は二度と狩りをしたくない!と思い、それ以外の手段で生計を立てる必要があったはずだ。(おそらく男が?)狩りをするタイプ一辺倒の集団よりも、男が採取などの狩猟以外のことを行う集団のほうが、きっと生存率が高い……そんな気がするのだが、どうだろうか?

そうすると狩猟採集時代からダイバーシティというのは利するところが多かったわけで、産業革命以降(大航海時代以降?)の家柄学歴が重用される時代は少しいびつな時代だったと言えるかもしれない。