相手の過ちを責めたいとき、ロジックや倫理で、いかに間違っているか、と問いたいときがある。
正義は我にあり!
自分は正しいことを言って、行動もしているのだから、当然責める権利がある!
そんな風に思いがちだ。
しかし戦闘に勝つのではなく、戦争に勝たなくてはいけない。
局地戦でいくら勝利したところで、自分の目的が達成できなければそれは負けである。
責めたい相手との関係性が何よりも大事であるならば、正論で相手を諭すことが正解ではない場合がある。
「それは間違っている!なぜなら〜」
と論理的に説明したとしても、相手の感情を損ねる話し方であれば、
「あーこの人は私を好きじゃないんだ」
となる。
どれだけ正しいロジックで説明しても駄目で、まずは相手の感情に寄り添う必要がある。
そんな面倒なことはしたくない?
間違っているものを間違っていると言って何が悪い?
そうかもしれない。しかし最終的に戦争に勝てなければ意味がない。
その人との関係を最プライオリティに置くのならば、自分をいったん曲げてでも、その戦闘で無理に勝ちにいかずに、まず「この話をして相手がどういう感情を抱くだろう」と考えることが大事だ。
ロジックで勝っているというのは戦力の1つだが、相手に合わせることが出来る心理的柔軟性もまた大きな力となる。
相手に勝つのではなく、人生に勝つ。
大きな目的を見失わないように生きよう。