おねずみ三千世界

これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。

明日には10億円の価値があるか?

バズっていたが、感銘を受けた。

 

10億円が欲しいか?

欲しい!

でもそれで明日死ぬとしたら?

いらない!

 

当然のようで、毎日忘れて生きていることではないか。

私の明日には10億円以上の価値がある。

 

逆に明日死んでもいいから10億円が欲しいとはどういう時だろうとも考える。

明日死のうと思ってたら、これ幸いと飛びつく話だろう。

家族の誰かが10億ないと助からない、となってもこの話に乗る人がいそうだ。

 

自分がどういう状況だと受け取るだろうか?

余命いくばくもない、後2,3日ですね、という病床であっても、選ばない気がする。

それは軽い自殺だからかもしれない。

家族にお金を残すために死ぬ?

そんなお金を残すことは却って遺恨を残すだろう。

 

お金は人一倍大好きだし、いくらあってもいいと思っているが、お金を稼ぐために未来を短くしていくような選択肢は取るべきではないな、と改めて思った。