おねずみ三千世界

これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。

男女の奢り奢られ論争は続く

ずっと出してきたこともあるしずっと割り勘のこともあるが、環境が人を作る、という言葉通り、お金を出しているほうが偉くなるのは人間の性質的に間違いないだろう。

その認識が生まれるのが普通だ。

もちろんそこに抗える人間もいると思うが、それを言い出したら資産3000億という人もいるわけで、金の使いみちに興味が無い人もいるだろう。

 

マネージャーの地位を与えたらマネージャーになるように、丁稚奉公に出たら主人には逆らわず、人権主義、平等主義はさておいて、法律やルールで

「二人での食事などの費用は あなたの年齢 ÷ (二人の年齢) x 100 のパーセンテージで金を出す」というような明文化されたものがないのであるから、実際は金を出すほうが偉いのである。

より多く出資したほうが多くの株を持ち発言権が強いのも当然だ。クラウドファンディングだって金を多く出したほうが特典も良くなるものである。

多く出したほうが偉い!というシンプルな認識からはなかなか逃げれない。(だからこそ税金を多く払っているほうが偉いなどという勘違いも生まれてしまうわけだが・・)

 
ご飯を割り勘にする代わりに月5万払うよ、と言われたらどうするのだろうか。
「あ、それならOKかも」
と思うのか
「お金もらったらパパ活みたいじゃん」
と思うのか。
実質お金の移動している量が同じだとしたら、何が違うというのか。
つまり結局は謂れなきお金をもらうべきじゃない、ということだ。
権力勾配を受け入れるのであれば問題はない。恩寵を受けた時に傅けばよい。
 
もちろん今まで奢ってきたからといって出来ていた優位もなくなる。料理洗濯などの家事もそうだし、そもそも子供が欲しいとなったら女性しか産めないのだから、その権利を行使してもらうにはそれ相応の対価が必要だろう。もしそれがいやなら里子をもらってこればよい。
 
世界は変わった。それに気づかなくてはいけないということだ。