おねずみ三千世界

これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。

自分の発言の一番の聴取者は、自分である

はてなが時々自分のブログで1年前こういうの書いてましたよ、と送ってくるのが良い。

こんな良いこと書いていたのか〜と思う。(自画自賛

 

gratt.hatenadiary.org

 

時々褒め言葉のつもりか「イケオジですよね」などと言われることがあるが何も嬉しくない。つまりオジサンってことだろ?Fxck!と心の中では思っています。

 

なのでもちろん自分でも自分に対してそんな呼称は使わない。使っていたら使っていたでイタイ人ではあるが。

 

しかし私とは違い、自分のことを「もうジジイですから」などと卑下している人もいる。

上の記事では「あなたが自分のことをジジイと呼称したら、あなより年上の人はどうなる?骸骨か?」というようなことを書いた。

そんな自分を卑下して逆マウントを取ろうとする人ほど、本当に卑下されたら怒り狂うものである。

なぜなら見下されたくないから、先に自分から下にいこうとしているからだ。

馬鹿にされるのは耐えられないから、自分から率先して馬鹿になろう、と。

 

誰かがそんな風な発言をしていて嬉しがる人など誰もいない。何より自分を大事にしていないという印象を与えるだろう。

 

私の母親は子供を褒めて伸ばすタイプでは全く無く、「あなたにはこれは出来ないだろう」という決めるつけをよくする人だった。これは昭和な人にはあるあるであるので、腹は立つが仕方ないと諦めてはいる。それにその判断が100%間違っていたとも思えない。(だから言っていいわけではない)

そんな人のそばにはあまりいたくない。

他人は変えられない。

気をつけなくてはいけないのは、自分でも自分に対して同じことをしていないだろうか、ということだ。

(C)三田紀房

自分のことをおじさん・おばさんだと言っていると、やはりそうなるのである。

おじいちゃんなどと呼ばれてみろ。これはぶっ飛ばさないといけない。

ぶっ飛ばす体力も必要になる。つまり運動は大事ということだ。

 

みんな、運動しよう。