将来の不安から自死した仏教学者が複数いるというtweetを見て、では私はなぜ死なないでいるのかということを考えた。私など20年近く前に学位を取りながら50過ぎて専任ポストも妻子も髪もない状態のおじさんだ。三回ぐらい死んでもよさそうなものだ。でもしっかり生きている。それはなぜか。
— 三浦宏文 MIURA Hirofumi (@HirMiura) 2024年6月12日
きれい事に聴こえるかもしれないが、リアルに「ああ、明日この子(人)の笑顔がみられるな」と思える他者がいたら、たぶん少なくともその明日までは死なないでいられると思う
綺麗事でなく、実際にそうだろうな、と思う。
人間結構生きるもので、死にたいと思ってもなかなか死なない。だから別に上気するような他者がいなくても生きていける。
ただそうでない人もいる。
やはり他者との関わり、ポジティブな関わりなしには生きていけない人がいる。
そんな人はあなたに笑顔を見せてくれる人を、そんな関係性を作らなくてはいけない。
私もあなたも、そんな関係を作るのに今まで失敗してきたのかもしれない。
ちょっとしたことで関係を破壊したり、自分から投げ出したりして後悔しないように。
大事なものをあっという間にゴミだと思って捨てたら最後、後から拾い直してももう同じものではない。
そんな後悔を持っているのなら、今回は真摯に向き合うように。
我儘でなく、辛抱強くならなくてはいけない。
そんな生き方を望むのであれば、だが。