嘘に嘘を重ねると整合性が取れなくなり、そしてボロが出る。
少しでも自分のダメージを少なくしようと嘘をついて、それが嘘だとバレると、次々と違う嘘をつく羽目になる。
「友人の肩代わりで大谷が払った」
「友人というのは嘘で僕でした」
「大谷が払ったというのは嘘で自分が勝手に口座から送信していました」
最後には辻褄が合わなくって嘘がつけなくなり逆ギレする。
こういう人が身近にいたことがある人は、このニュースを見て居た堪れないだろう。
水原氏は「ショーヘイには本当悪いことした」「こんな自分を変えたい」
などと思っているだろう。
でも変わらない。
なぜか。
同時に「でも罰せられたくない」「面倒なことになってほしくない」「自分は変われる」
とも思っているからだ。
「やりたくない」とか「変わらなくちゃ」という気持ちの問題にしている限り絶対に同じことを繰り返す。
本当は決めの問題であり、「しない」と決めたことは何があってもしないのだ。
ひろゆき氏が動画で「離婚をしたいと思ったことはないんですか?」と聞かれた時に「離婚という選択肢をそもそも考えない」と答えていた。もう家族なのだから、離婚するかしないかで悩むのが面倒だ、と。
これが決めである。
何か相手の嫌な面が見えた時に「でも離婚できるしな」と思っていると離婚するしないという選択肢が常に現れる。これでは自分を変えたり、相手に気持ちを伝えたりという大事なことにリソースを割く前に「別れようかな、別れないでおこうかな」という悩みにリソースを使ってしまう。これは非常に勿体無い。まともな判断が難しくなる状態だ。
銀行口座を開設したのが自分だから、やろうと思えば何でもできてしまう。だから、大谷の財産に手をつけようかな・つけないでおこうかな、などと、そんな悩みを持っていたら、まず正常な判断はできなくなる。
これを防ぐ手段は2つしかない。
・人の道に外れることはしない。法に触れることはしない。大事な人が悲しむことはしない、という決めを持つ
・環境を変える
究極は決めの問題だ。タバコを吸おうかな、吸わないでおこうかな、と迷っていたら禁煙はできない。タバコは吸わない、なぜなら「吸わないと決めたから」としないといけない。
「明日から白い服を着たら死刑です」
と言われたらどんなに頑固な人も白い服を着ない。なぜならそう決められたから。
海中で深呼吸をする奴はいない。なぜならすると死ぬから。
やると決めた、やらないと決めたなら、面倒でも「面倒だけど決めたからな」、退屈でも「暇だけど決めたからな」、苦しくても「ま、死ぬよりはいいよな」と、そのルールに従うだけ。
あなたは国内旅行の時にはパスポートは持っていかないだろう。でも国際旅行の時には持っていく。それはなぜか?そう「決められて」いるからだ。
パスポートを携帯するかどうかはあなたの自由意志である。空港に着いて「パスポートなんて持ってませんけど?」という自由があなたにある。でも持って行くだろう。
もしあなたの知人が「パスポート持っていこうかどうか悩んでいる」と言っていたら、なんて馬鹿な奴だろう、と思わないだろうか?
ようは自分で「決め」られるかどうかだけだ。
でもそんなことが出来ないという人は環境を変えるしかない。
大谷の銀行口座を一緒に作りにいったとしても、自分でアクセスできるようにはしない。一旦必要で入れたとしても、2段階認証のアプリで大谷の情報は消しておく。別途自分の裁量が大きい別口座を作ってもらってそこに少額振り込んでもらうなど、自分で環境を変える。
嘘をつく身勝手な自分は許しつつも、ダメージコントロールを自分でできるようになればいい。
信用を勝ち得るために何をしなければいけないか学ぶ、行動する、その姿勢さえあれば周りの人は「変わった」と思ってくれる。
水原氏が更生されることを願うばかりである。