おねずみ三千世界

これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。

毎日3000文字書くというのはどれぐらいの量なのか?

毎日3000文字書いてます、というのを何かで見かけて、そういえば3000文字というのはどれぐらいの量なのだろうか?と思った。

普通の原稿用紙が400字詰めだから、それの8枚弱分である。それはすごい、と正直思った。

普段から何事かをよく考えて、自分の思考の旅をしていないと、毎日それぐらいは書けないだろう。

私が普段考えていることといえば、人生について、恋愛について、幸せについて、いかに自分をアップグレードさせるか、格闘技、お金、投資、料理、健康、データ分析、プログラム、そんなところだろうか。

すべて自分の人生の幸せに直結していることかなと挙げてみて思う。

しかし、これを手に入れてたら幸せだ、ということを幸せの目標に置いてしまっては、本当の幸せな状態には慣れない、というのは前書いた通り。

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そういう意味で言うと、何かを書いてそれを積み上げていく、というのは幸せなことなのかもしれない。

と、ここまで書いて約400文字である。

正直毎日3000文字書いている人は本当にすごいと思う。できれば口述筆記したいところだ。そのうちそんなテクノロジーも導入したほうがよいかもしれない。

 

とりあえず、文字量を増やそうと思うと、やはり思考を垂れ流すのがいいだろう。

先に上げた自分がいつも考えている、事柄について書くのは筆が進みそうだ。

 

人生についてなんて考えない日はないだろう。本当なら思い描いていた人生とは大きくずれて、40代になっても未だ20代のように自由気ままに暮らしている。でもその自由は本当に欲しかった自由なのか?と言われるとそうでもない。本当の自由とはアリアハンから出ることだと知っている。そして障害や困難を乗り切るための力をつけることなのだと。

ワンピースでルフィが言っている通り、一番自由なやつが海賊王なのだと。そしてそれには力や仲間が必要だ。

私に今それがあるかというと無い。なので海賊王はどうも諦めたほうがいいかもしれない。でも昨日の自分よりも良い自分にしていくというのは出来るはずだ。気をつけるべきは進む道だろう。そこを間違えていると間違ったほうに努力をして、どんどん隘路へと入っていってしまう。

そのためには認知の歪みを無くし、常に自分は何が幸せなのかと問いかけ、将来の幸せのために必要なものは何かと考えることだ。

よく自分に問いかけるのは「もし無人島に暮らさなくてはいけないとして、今の環境よりも良いのか悪いのか?」ということだ。これは間違いなく今の環境のほうがよい。つまり人と関わらずして生きていけないのが私なのだ。そしておそらくパートナーと呼べる存在がいるだろう。

ペットがいたら寂しさは紛れるかもしれないが、共に大地に立つ存在が必要なのだと自分では認識している。

そうなった時、自分にとっての恋愛とは何かというと、パートナーとしてチームを組めるかどうか、というところに重きを置いているし、それは間違っていないと思う。

性愛も重要視していたが、年齢とともにそこの重要度は少し下がってきているような……あまりそう思いたくないが、実際前よりは重視しなくなってきているような……この認めたくない気持ちはどこから来ているのだろうか?これがミドルエイジクライシスと言ってしまえばその通りなのだが、そういう普遍的・統計学的なことでなく、もっと個人的な想いがそこにあると思う。

映画好きが年何百本も映画を見たら、理想の映画というのになかなか出会えなくなるように、私も経験を積む度に、理想のパートナーを探しにくくなっているのかもしれない。

パートナーの最プライオリティといえば、私を好きかどうか、である。それ以外時に条件はないと思うのだが、時折「私は理想が高いのだろうか」と感じる時もある。

しかし他人に対して「ああだったら」「こうだったら」などという理想を押し付けたところで、そんなことは意味がない、ということも重々承知している。

なぜなら私自身がそんな完璧な人足り得ないからだ。それは比較的変化可能な人柄という意味でも、変化が難しい生まれ持った肉体的な意味でも、だ。身長180cmの男性が好み、という女性に対して特に言うこともないが、生まれ持ったものを条件につけるのは……思うところはある。

まったく話は変わるが、そういった「これは間違っているんじゃないか?」ということを伝えたい時、例え話を皮肉っぽく言ってしまうことがあるのは自覚している。これはあまり良くないですね。物事は何でもストレートに伝えたほうがよい。例え話をする時は断りを入れてからのほうがよい。それが儀礼的な意味しかなくても。それが礼儀というものです。

と、ここまで書いてきて弱2000文字。

いくらでも書けそうだが、読んでいるほうとしたら支離滅裂な文章になっているだろう。ここから推敲する必要があるのだが、そして普段は推敲をしているのだが、それが必須!となるとそれはそれで筆を持つ意欲が失せてしまう気がする。

まあここまでの話を纏めると、人生というのをよく考えてはいるが、今は理想とはほど遠いものだし、結果理想を追い求めることの先に幸せはない、ということだ。

 

いかに自分をアップグレードさせるか、ということが私の幸せに近い。ゲームと同じで、ただ数値がよくなればそれだけで幸せ、というのに似ている。

プリンセスメーカーというゲームがあったが、あれはよく出来ていて、自分が育てる娘のステータスが上がればそれだけで嬉しい、それは将来素敵な職業(?)につける可能性が上がるから、なのだが、どれだけステータスを高めても自分が成りたい職業になれるとは限らない。

力をMAXにしたからといって、医者になれるわけではない。

自分をアップグレードすることもそれに似ているような気がする。あれもこれもアップグレードしたくなるが、全部をやる時間はないし、とりあえずのマイルストーンを達成するものとはかけ離れたステータスを強くしていっているかもしれない。

時々自分の能力の棚卸しが必要だろう。それが資格試験かもしれないし、転職かもしれない。

スポーツなら大会出場などかもしれない。

何か没頭できる事柄というのは必要だが、独りよがりになってしまうと、少し幸せからは遠のくのかもしれない。

ちなみに美容やファッションなどのアップグレードは効果がすぐ出るのでオススメではある。基本人は見た目が9割であり、できれば「普通」に沿わせておくほうがいい。高級ホテルのロビーにホームレススタイルで訪れたり、会社の面接にチャイナドレスで行くのは、自分の中身を見てもらう機会を損失してしまう。外見で印象が引っ張られない、自分の話すことだけに集中してもらうルックスがあるとコミュニケーション効率が良いのである。

人と会う時にボロボロのTシャツで現れると「これはファッションなのか?それとも?」と認知をそこに引っ張られてしまい会話が頭に入ってこない、というのは想像に難くないだろう。

 

ワンピースの話が続いてしまい恐縮だが、ほっぺたにずっと食べ残しのハンバーグをつけているキャラクターというのがいるが、もしそんな人が実際に目の前に現れたら気が気でないだろう。

 

 

ここまで書いて弱3000文字。

もっと書けそうだが、あまりツラツラと書いても内容が薄いのでやめておく。

人生とは、幸せとは、恋愛とは、ということに常に悩んでいるのが私という人間だ、というのがよく分かる記事となった。

一度この考えを手放したほうがいいのかもしれない。

一つ言えることは、これぐらいツラツラと英語でライティングが出来るようになりたい、ということだ。これは15年後ぐらいが目標かな。