おねずみ三千世界

これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。

ものを知らないと失敗する

ものを知らないとはどういうことか。

 

自分を知らない
世間を知らない
道理を知らない

 

ということである。

ものの道理というのは科学である、反証可能性のある、こうすればこうなるという理屈だ。

こうすれば→こうなるといいな

というのは科学ではない。

 

自分を知らずして、現在地を知ることはできない。

旅程表はいつも現在地から始まる。何がしたいかはまず自分が何を知っているか、何を知らないかを把握するところから。

 

世間を知らずして、生活することはできない。

どのようにお金を稼いで、どのように暮らすべきか。いつまでも親の庇護のもとで暮らすかの如く「世間知らず」と言われるような能天気さは改めるべきだ。

 

どのようにすればものを知れるか?

それはものに触れなければ始まらない。多くのメディアに触れ、過去、現在、時間に囚われず、自分の足で知己を得る。

くだらないと言ってTVや漫画などのエンターテイメントに触れなければあなたは最も有名な詐欺にすら引っかかり、幸せになるために新興宗教に貢ぎ、番頭にお金をくすねられるかもしれない。

かといって学業をおろそかにすれば、科学的に正しい判断が難しいかもしれない。大仰な広告のコンプレックス商品を買い、手数料の高い投資信託に投資し、極端なヴィーガン主義になり栄養失調に陥るかもしれない。

それでも現実世界での人付き合いを無くしては、どのように人が生活をしているのか真にはわからないだろう。自分の周りが全て、誰もが大企業に勤めて、結婚をして車とマンションを買い、子供を塾に通わせて、貯蓄をしながら「お金がない」と嘆く、そんな世界が全てと思ってしまうかもしれない。

 

ものを知るということはひょっとしたら幸せに近づかないのかもしれない。

でも、周りは傷つけたくないのであればものを知るということは重要である。

周りの幸せが自分の幸せだと、そう考えるのであればものを知るよう努力しなければいけない。