おねずみ三千世界

これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。

再現性のある苦労の乗り越え方

「苦労自体」に価値があるのではなく、そこで形成された「再現性のある苦労の乗り越え方」に価値があり、坂井自身も、「あぁ、これあの時と同じパターンか」で、心折れずに仕事をしている感覚はあります。(いわゆるレジリエンスですね)

再現性のある苦労の乗り越え方、これこそが歳を重ねるごとに、経験を詰む度に、人生が楽になってくる、ということの要因の1つではないか。

何かあっても「まあ、大丈夫だろう」と思えるかどうかが大事だし、自分の助けとなる。

 

何か大事な商談の前にシャツが汚れた!としたらショックで何も手がつかなくなる、という人もいるかもしれない。もう世界の終わりだ!と落ち込んでしまう。

しかし、そんなぐらいのアクシデントは生きていたらあるあるである。

「いやー、ちょうどここに来る前にこんなことがあってシャツが台無しになってしまったんですわ。大事な商談前だっていうのについてない、いやある意味ついてるということですな。ガハハ!」

とでも言っておけばいい、と人生が長くなると分かってくる。

 

つまり人生を上手く乗りこなしていくには失敗を重ねることも必要だということだ。

そしてそういう失敗も楽しめる人になりたい、という気持ちも大事だ。

 

ハプニングがあって落ち込む人、ハプニングを笑い飛ばせる人、自分がどちらになりたいかといえば断然後者である。

そんな人に突然なるのも難しい。

だからこそ、再現性のある苦労の乗り越え方を知る必要がある、と思う。