おねずみ三千世界

これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。

人を妬まず、自分に驕らず

SNSなどで華やかな人を見てあの人は恵まれている!と妬むのは現代病の1つだろう。

昔は100人単位の集団にいて、良く悪くもドングリの背比べだったのが、一気に高純度に抽出されたTopTierを見せられるわけだから、おかしくなるのも当然だ。

 

しかし、上を見たらきりがないし、下を見てもきりがない。

よく言うとおり、人生は自分に配られた手札で勝負するしかない。

 

でも最初からロイヤルストレートフラッシュが手札に来てたら、カードをチェンジする必要はない。素敵だ!生まれながらの勝利者!と思うかもしれないが、その人生は真に楽しめるものだろうか?ゲームのルールさえ理解しないまま勝利してしまうのではないか。

あるいは最初からストレートが揃っていても、ここから手札をチェンジしてこれ以上の役を揃えようという気になるか?というとこれもなかなか出来ないだろう。初手のストレートをわざわざ崩すような愚行はできない。挑戦できない人生という寂しさがあるだろう。

 

どちらにせよ、十全な状態というのはないものだ。だから、どのような境遇であっても、他人を羨まず、自分に打ち勝ち、自分を過度に貶めるような態度は改めたほうがよい。

「自分はバカだから・・」

などと言ってたら馬鹿になる。

「自分は才能がないから・・」

と言う人は自分で才能を殺してしまっている。

 

同じくして、自分が恵まれた環境にいることも気付かなければいけない。最近はマイケルサンデルの本もあるので多くの人が自分のバイアスに気付いているだろう。

 

 

利己的バイアスにかかっていると、成功は自分の努力と才能のおかげだ、と考える。そして成功していない人を「努力が足りない」と思うだろう。そしてそのような態度は他人を抑圧させる。

 

自分の努力の結果、今の自分がある、それが全て、などと考えていると、いつかはデッドエンドに辿り着く。あなたは頑張らない自分も好きになれるだろうか?

 

特に周りの環境がイエスマンばかりになると酷い勘違いをしてしまいがちである。

「あなたは頑張ってるね」

「才能もあるのに努力もしてる!」

そのように自分の努力を認められている時こそ気付いていない陥穽がある。

 

自分を客観的に見つめて、人を妬まず、自分に驕らず生きていくことが真の幸せに繋がるだろう。