おねずみ三千世界

これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。

言葉よりも行動を見る

人間口では何とでも言える。その後自分の言葉にダメージを受けるのを気にしなければ。

 

口では「相手のためを思って」「ご迷惑だといけないから」などと言うが、行動を見たら実際はどう思っているのかが分かる。

「あ、ただ面倒くさいだけなんだな」「もっと優先させたい用事があるんだな」と。

 

まあそれもコミュニケーションの潤滑油というか、全部本音で話せば良いものでもない。

が、言行不一致というのは最後には信用を失う。

疑ってかかるコストが高いとき、コミュニケーションそのものが面倒くさくなる。

それで人は急に怒ったり離れたりしてしまう。

 

知り合ってすぐはこのコミュニケーションコストが高いので、疲れることが多い。相手の言っていることについて考えなければいけないことが多いからだ。

 

私は相手の言ったことをそのまま受け取るタイプだが、それでも

Trust, but verify

である。

信じるけど、確認しないと事故る。

 

本音を言わない人とはコミュニケーションコストが高くなる、という例として、ご飯の時の会話を挙げておく。

「お腹一杯になった?」

と聞いて

「なったよ」

と言われた。

しかし後々「実は全然お腹一杯じゃなくてもっと食べたかった。しかし〇〇な理由で言えなかった」と本音?を吐露された。

 

そうすると、「お腹一杯になった?」と聞く度に、「(実はまたお腹一杯じゃないのに、お腹一杯だと言っているかもしれない……」などと疑わなくてはいけない。

 

これはツラい。こんなコミュニケーションばかりだと、ストレス値が高くなるのは分かるだろう。

お腹一杯だと言えなかった〇〇な理由が、社会通念上の遠慮だとしても、仲を深めていくためには排除する必要があるものである。

 

「仕事の時間が読めなくて、帰りがかなり遅くなる。だから迷惑かもだけど、会いたい」

と言われたら、本当に迷惑と思っているかどうかは分からないけど(笑)少なくとも会うという行動をしてくれているのだから、「本当に会いたいんだろうな」と思う。

「仕事の時間が読めなくて、帰りがかなり遅くなるから明日ゆっくり会おうね」

と言われたら、実際の気持ちはどうか分からないけど、結局今日会おうしてないので、こちらとしては「会うの面倒なんだな」「その面倒さをおしても会いたいと思えるレベルじゃないんだな」「本当は今夜用事があるのに、言えない用事だからそう言ってるんだな」と思ってしまう。

不幸なのは、本当は会いたいと思っているのに遠慮して行動できていない場合である。

迷惑をかけたくないという気持ちが、逆に二人の関係性にとって大迷惑となっている。

相手に良かれと思ってしたことが、結果相手を苦しめる。

 

言葉と行動が違うと、疑いを持たなければいけなくなるのでコスト高ですよ、という話。

 

言行は一致させましょう。