おねずみ三千世界

これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。

道徳とタブー

書きたいテーマをメモっている。

その中に「道徳とタブー」という文字だけがあった。

一体私は何を書きたかったのか?謎である。全く思い出せない。

中途半端なメモはいけない、と最近学んでいる。適当でもその時思っていたことを書かなくては。

しかし道徳とタブーを考えると、それは非常に文化的なものだろうと思う。

純粋な?日本人として育った私には、身につくべきして身についた道徳というものがある。他人に迷惑をかけてはいけない、ルールは守らなくてはいけない、勤労勤勉が美徳である、というようなものだ。

 

そして漫画やゲームで育った私には、同じように身についたものがあるだろうと常々思っている。

無駄な正義感や達観である。

宗教というのは大体問題を起こす、宇宙人でも差別をしてはいけない、不老不死は憧れるものでない、お金持ちであっても幸せとは限らない、狡兎死して走狗烹らる、役目や人生の目的などはくだらない、好きなように生きるのが一番大事。そんな感じのものである。

実際社会に出てみると、俗なもの、俗な人物のほうが上手く乗りこなしているので、そこにギャップを感じる。例えば本気で宗教を信じている人などは、そんな疑問、矛盾は持たないのではないか。来世のために現世で頑張ればいいのだから気楽だろう。

 

タブーとはまさに、こういった正義感や達観からは逸脱することである。

性に奔放であったり、他人を蹴落としてでも自分を優先させたり、ルールをあえて破ったり、などである。

そういったことも自分の人生に必要だと思えばやればいい。シンプルにそう思う。

自分の定規からはみ出すようなタブー、それも時々は踏み外す必要があるのではないか。

自分という枠を広げるためにも、好奇心の赴くままに、少しは逸脱するのもいいだろう。

そこでまた新たな自分なりの道徳とタブーを身につければよい。

 

結局は自由に生きよ、という指針から逃れられない人生なのかもしれない。