おねずみ三千世界

これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。

会話とは「そうかもしれない」の繰り返し

ChatGPTと話す、みたいなネタがよく上がっているが、結局「それらしい答え」を返すことができれば会話というのは成立する、ということだろう。

つまりある程度想定の範囲内の返答でないと会話にならない。

 

なので常識が完全に違う人同士、完全自責思考の人と完全他責思考の人がどれだけ話し合っても満足行くゴールに到達することはできず争いしか起きない。

 

メンヘラの思考を分析してはいけない、という一文をどこかで見たことがあるがこれは正論かもしれない。

 

どれだけ相手の気持ちを考えたところで、相手は自分の気持を考えないのだからすれ違うばかりである。

 

翻って自分との対話に置き換えて考えてみる。こうなると逆に「そうかもしれない」という想定の範囲内の対話しかできないだろう。

これはこれで幅が狭いような気がする。

そういう意味では自分との対話にChatGPTを使って、「もっと違う角度で」と注文をつければよい塩梅の対話ができそうな気がするのである。