おねずみ三千世界

これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。

通り名

リクルートエージェントがやっていたコラムの中で一番お気に入りの話なのだが、インターネットの藻屑となってしまっているようなので転載しサルベージしておく。

 

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我々は、しばしば、転職相談で職務経歴書の書き直しを転職希望者の方にお願いすることがある。
不動産業界のKさん(34歳)も、やや内容に具体性に乏しかったため、「もっと個別の案件や、プロジェクトのことについて、詳細を書くようにしましょう」とアドバイスをすることになった。
それから一週間後、郵送されてきたレジュメは質・量ともに十分なものになっていたが、なかに、とても職務経歴書らしからぬ一行が含まれていた。

「200X年『鬼殺しの松』のチームに所属して、用地買収の交渉業務をおこなう」

『鬼殺しの松』とは一体…。我々はすぐにKさんのところに連絡をして、この怪しげなチームについて問うた。
「この業界の有名人で、『赤鬼のタツ』といわれる凄腕がいます。私の元上司は、ある土地の買収で『赤鬼』としのぎをけずり、見事、相手を出し抜いたことがあるんですよ。以来『鬼ごろし』というニックネームがついたわけです」

「しかし、それは社内でのニックネームですよね?」
「いえ、『赤鬼のタツ』は業界で有名です」
「元上司の『鬼殺しの松』は?」
「うーん、知っている人は知っていますが、『赤鬼のタツ』ほどではないでしょうね」
「なんども修正をさせて申し訳ないのですが、そうなると『鬼殺しの松』というのは、削除した方がいいように思いますよ」
「わかりました。では、それを省いた書類を作ります」
しかし、我々のアドバイスは、業界のウラ事情まで知りえないが由のミスであったかもしれないことが、後に分かってきた。
再修正を加えた書類を各企業に送ってみたものの、すぐにKさんを面接をしようという企業は出てこなかった。
「このポジションはキャリアがピッタリの人でないと難しくてね。Kさんは、正直、ボーダーライン上なんだよなあ」
ある企業の担当者が悩んでいる様子だったので、我々は何か決め手になることはないかと、ためしに訊ねてみることにした。
「あのお、もしかして『赤鬼のタツ』はご存じですか?」
「もちろん知ってるよ。以前A社にいて、いまは独立して、不動産コンサルやってるんだよね。すごいやり手で有名だよ」
「では、『鬼殺しの松』は?」
リクルートエージェントさん、松さんのことも知っているんだ。いやあ、赤鬼退治の話は、いまや伝説だよ」
「Kさんなんですが、一時『鬼殺し松』のチームにいたことがあるそうなんですよ」
「え?でも、会社が違うけど…。そうか、松さんも独立して、いろいろなところ会社に出入りしていたんだよなあ…。いや、しかし、そういう人脈があるなら、ぜひKさんには会ってみたいね」
『鬼殺しの松』が面接の決め手になったのは、この会社だけではなかった。別の会社では、「え?本当にあの松さんの直弟子なの?それはすごいなあ。松さんのことついて教えてもらいたいし、あってみてもいいよ」という人もいたのだ。
「Kさん、すみませんでした。『鬼殺しの松』はどの会社でも有名でした」
「それはよかった。私も鼻が高いですよ」
「それにしても、『鬼殺し』ってすごいニックネームですよね」
「そうですか?私もいつか、そんな風に通り名がつくような大物になりたいと思っていますけどね。実は、名前も考えてあるんですよ。『毘沙門のK』っていうんです。いい名だと思いませんか?」
職務経歴書に『鬼殺し』『毘沙門』といった文字が並ぶのを想像して、思わずめまいを覚えたが、当のKさんにそう言うわけにもいかず、我々は「かっこいいじゃなですか!」と力強く応じてしまったのだった。

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起承転結が効いている。コラムの王道とも言えるこの話、大好きです。今では名のある人が書いていたのではないか。