おねずみ三千世界

これより西方、十万億もの仏国土を過ぎて、世界があるが、それを名づけて極楽という。

幸せとは何か?と考えている時は不幸せ

人間はシラミかどうか?と考えない人間にとってのみ、人間はシラミだということ。

 

幸せとは何なのか?と考えているうちはきっと不幸せなのだろう。

本当に幸せの中にいる人はそんなことは考えない。

 

ステーキを頬張っている時に献立を考えるやつはいない。

セックスしている時に口説き文句を考えるやつはいない。

 

幸せの真っ只中にいる時に、「本当の幸せとは?」「人生の目的とは?」などという思考は生まれてこないだろう。

 

苦悩、負の感情、焦燥感、そういったものから逃れたいがために、本当の自分を見つけようとする。

 

ブログを書く頻度が減ったということは、仕事が忙しいのと合わせて、自分が今、少しだけ幸福の中にいる証左なのかもしれない。

 

しかし悩みのない人生などない。

つまりずっと幸せな人生もないということではないのか?

それでも幸せを追い求めたい。

それが人生を肯定的に生きるということだろう。

振り返ってみれば道ができている

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そういえば登録したオンラインコースなどがあるので、それをして過ごすのもの良い、とは思うのだが、家だと強制力が働かなくて困る。

というわけで夜にも何か予定を詰め込みたい。

ちょうど上にあげたオンラインコースの進捗をブログにアップしていく、とかでもいいのかもしれない。30分とか?まずはコツコツ積み上げられるものを予定に入れていこうかな、と思う。

2年前のブログだが、この時に書いたオンラインコース、無事取れていた。

別になんてことはないが、なかなか面白い体験ではあった。

二年間何も進捗がないように見えて、こうして僅かでも、半歩でも、前のめりに倒れているだけかもしれないが、前進しているのかもしれない。

結局寿命がいつかは分からないが、こうやって前に進んでいくしかないのかもしれない。

何も進歩がない、と思っていても、同じところをぐるぐる回っているようでも、螺旋のように奥に進んだりしているのかもしれない。

 

そりゃ年齢を増すことによって、できないことも増えてきた。

子供を持つのもタイミリミットが近いだろう(オーバー?)

性的な魅力もどんどん落ちていく。

強さや美しさはいつか枯れてしまうもの。

そうでない引力、人を惹きつける力を身につけられるかどうか。

 

今年の目標として「影響力を持つ」ということを決めた。

これが一番自分のやりたいことではないのかと思ったのだ。

影響を高める、ということが今の目的なのだ。

まずは自分の周りからでも、変化を起こせるパワーを身につけていくぞ。

自分が情けない、と思うような行動はしたくない

自分が情けない、と思うような行動はしたくない。

何かから逃げたり、やるべきことを消極的にやらなかったり、後で「こうしておけばよかった」と後悔するのが分かっていることを「やらない」という選択肢は取りたくない。

 

どうすればそういう選択を取らなくなるか?

あるいはそういう選択をした時でも解消する術があればいい。

 

パッと思いつくのは罰だろう。逃げたらそれ以上の分大変なことをしなければいけないという罰である。

ジムに行くのをサボったら、次の日倍辛いトレーニングをする、倍の時間を費やす、などである。

 

性格的に逃げたらより自分を追い込むというのはできそうな気がする。もちろん逃げないに越したことはないが、逃げた時に自分のことを情けないとずっと思っているよりマシだ。

 

逃げる恥だが役にたつ、とは言うが、それは死の危険があった時ぐらいだ。

今まで逃げてきて得をしたことはほぼない。いつも後悔している。

どんな結果が訪れたとしても、自分から逃げない方がマシだ。

 

いつになったら学習するのか。

やはり罰がいる。

逃げる兵は罰しなければいけない。

敵前逃亡していては、勝てる戦にも勝てない。

 

戦闘に勝つのではなく、戦争に勝たなければいけない。

これは私のモットーだが、コツコツと勝利を続けることも同じぐらい大事だ。

この場合の勝利とは自分だけが満足いくものでいい。

それが自分の自信になるからだ。

 

逃げなくなるための、あるいは逃げても逃げても結果戦局が有利になるような罰を考えねばならない。

あるいは仕組み作りだ。

面倒くさい、逃げたい、躊躇する、そんなことにフックして、もう1つのタスクをぶら下げておく。

こうすればまずそのタスクをこなさないと次のタスクができない、というフローができるので最初のタスクから逃げにくくなる。

意思の力だけで行動を強制するのは難しい。

自分で自分の行動を制御する仕組み作りが上手い、これもちゃんとした大人になるための条件ではないだろうか。

自分のコアバリューを明確にする

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ステップ1.自分のコア・バリューを明確にする:まずは「自分は何に突き動かされているのか?」「私は何に意義と充実感を感じるのか?」といった質問の答えを明確にし、自分の中核となる価値観をはっきりさせる。

このような価値観は、私たちの心の中で結晶化し、自分が「これは正確で明確で揺るぎないものだ!」と感じられるものでなければならない。価値観は自由に選べるようなものではなく、私たちの人生において、私たちが何者であるかをハッキリ定義するものだと言える。

自分が謙虚かどうかに関わらず、これは大事だなと思って最近ずっと心に留めていた。

自分は一体何に突き動かされているか、自分が何を大事にして生きているのか。

自分へ問う、そしてそれが何か明確にする。

人生を主体的に生きるにはそれが必要だと、再認識している。

スマホをダラダラ眺めているより、TVをダラダラ見ているより、何か違うことに集中したい。

自分の目標に向けて、走り続けるまでいかなくても、歩いていきたい。着実に歩みを進めていきたい。

そうした時に、自分のコアバリューを認識しているかどうかで違いが出てくるように思う。

 

またしばらくしたらコアバリューをよりコアに絞っていくこと、そこへの歩みについてなど、また追記できればと思う。

 

自分の影響力の行使をしたい

何がしたいのか、何を望むのかと考えていたら、やはり自分の影響力を行使したいのではないか、と思うようになった。それは強権だろうか、我儘だろうか、エゴだろうか。色々考慮すべきところもあるが、それが要望なのだから仕方ない。どこかでバランスを取っていくしかない。

 

自分の子供を作るということは分かりやすい影響力の行使だが、自分の子供を自分の思い通りに教育(言い方を悪くすればコントロール)していくことも純然たる影響力の行使だろう。

自分の子供でなくても、他人やオブジェクトが自分に影響を受けて何かが変わったとしたら、そこに自分の遺伝子、ミームが残ったということ。

 

これは男性的な欲望なのだろうか。だから、男性は昔の彼女のことをいつまでも、自分のことを思っていて欲しい、つまり影響を受けていて欲しい、と思うのかもしれない。

 
私は問題を解決もしたくなるし、説教もしたくなる。自分の影響を受けて欲しい。教えたがり。誰かが自分の影響下から出るのもやだ。
そういったプリミティブな感情がやはり自分の願いそのものなのかもしれない。
自分のそういった願いを直接出さず、巧言令色、人を良い方向に導くんだという思い上がり、影で糸引く黒幕、ちょっと不思議な親戚のおじさん、そんな人物になっていこうかな。
自分のゴールやマイルストンをそこに置くのはいいかもしれない。
 
俺が仕事ができそうな姿が好きなのも、自分の影響力を増したいのかもしれない。何せ説得力が増す。おしゃれもそのためにしていこう。

人は見た目が9.9割

ウメハラ「学校に行かないと損をする。バイトですら学歴差別がある。レジから金が無くなった時、学歴のない人が真っ先に疑われる」

見た目も悪い、学歴もない、となったら目も当てられない。

中卒でも小綺麗で常に笑顔のやつは疑われにくいだろう。

そういう意味では女性の方が小綺麗な人、コミュ強の人が多く有利である。

はっきり言うと「舐められないために」の外見が必要となる。

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 東大卒なら勉三さんの見た目でもOKだが、学歴がないものは見た目を磨く努力をしなければ。世間からどう見られるか、改めて考えて見た方がいいだろう。

そうでなくても努力することはアドバンテージがある。

何か1つでもコツコツ続ければ少しはマシな未来になるのではないか。そんな希望も無くしては生きていけないだろう。

 

 

 

とにかく思ったことを言わないと気持ち悪い

これはもちろん何でもない言えばいいというわけではないが、自分が言いたいことを言えなかった時のストレスが半端ないので、小出しにしたり、婉曲表現を経たり、まずは「話がある」と宣言してから始めるのでもいい。

とにかく話をしないと始まらない。

明日死ぬかもしれない。

いや、今日寝てるときに死ぬかもしれないのだから、思ったことは言いたいし、やりたいと思ったことはやりたいし、自分の人生を肯定して死んでいきたい。

 

これも訓練である。

赤ん坊がいきなりフルマラソンを走れない。

まずはハイハイから始めて、二足歩行を目指す。

 

まずは「話したい」と言う意思を表明するところから始めて、言葉は後から紡いでいくのでもいい。

自分をなんでもできる大人だと思わず、自分と他人の組み合わせというのは初歩から始まる、そう思っておこう。

誰だって初めての人と新たにコミュニケーションを取ろうと思えば、それは0から構築、素人も同然である。人というのはそれぞれ違うのだから。

逆に今までの経験から、自分の家族はこうだから、前の恋人はこうだからなどとパターンに当てはめて考えていく方が問題がある、のだろう。

上手くいかないからと腐るのでなく、毎回新鮮な気持ちで臨んでいこう。